1 FOR ALL JAPAN 廃炉のいま、あした

1Fを守る仲間たち

江頭好博

2016年4月12日

INTERVIEW 06 仕事は準備が大切段取りで8割決まると思います

江頭えがしら 好博よしひろさん株式会社 東京鐵骨橋梁
営業本部 1F対策室 室長

2016年4月12日

INTERVIEW 06 仕事は準備が大切段取りで8割決まると思います

江頭好博江頭えがしら 好博よしひろさん
株式会社 東京鐵骨橋梁
営業本部 1F対策室 室長

 ビルや橋の建設けんせつなど、大型プロジェクトに欠かせないのが鉄骨てっこつの組み立て。1Fの廃炉事業においても、原子炉建屋げんしろたてやにカバーをかけるときなど、さまざまな場面で必要です。震災直後しんさいちょくごから1Fに入り、力を尽くしてきた東京鐵骨橋梁とうきょうてっこつきょうりょう江頭好博えがしらよしひろさんに、当時の緊迫きんぱくした状況じょうきょうや仕事の工夫点をうかがいました。

1Fではどのような仕事をされたのですか。
江頭好博

江頭さん:

 1号機建屋の上部から放射性物質ほうしゃせいぶっしつが漏れることをふせぐためにカバーをかけることになり、2011年4月から、カバー鉄骨てっこつ製作せいさく架設計画かせつけいかくを始めました。

 まず6月から、日本の各地で製作せいさくした鉄骨てっこつの材料を、1Fの南にある小名浜港まで陸路で運びました。小名浜では、かりの組み立てをするとともに、1Fでの組み立てにそなえ、時間をかけてトレーニングをしました。同年7月から小名浜から1Fまで海上輸送かいじょうゆそうをして、10月にはカバー取り付けが完了かんりょうしました。

 2014年8月からは、廃炉作業を次の段階だんかいに進めるため、別の方法で飛散をおさえ、カバーの解体かいたいを開始。2015年10月に無事に完了かんりょうさせることができました。

大規模だいきぼ非常ひじょうむずかしい工事なのでうでの立つ職人しょくにんさんを全国から集めた

1Fならではのご苦労はありましたか。

江頭さん:

 何よりも建屋カバーが非常ひじょうに大きいというのが大変な点でした。しかも、高線量により建屋の上に作業員がのぼれないため、クレーンを遠隔操作えんかくそうさして鉄骨てっこつけたりはずしたりしなければなりません。少しでもミスがあったら、大事故だいじこにつながってしまいます。

 ですから、作業員さんを選ぶのも大変でした。ほかの現場げんばならば、作業をしながら学ぶという人も大歓迎だいかんげいなのですが、ここではそうはいきません。絶対ぜったいに失敗ができない工事でしたから、経験けいけん豊富ほうふ技術力ぎじゅつりょくが高い職人しょくにんさんを全国から150人集めたのです。それが最初の苦労でした。メンバーには、本州四国連絡橋ほんしゅうしこくれんらくきょうけた職人しょくにんさんもいました。1Fは750tクレーンという大きなクレーンを使用しましたが、本州四国連絡橋ほんしゅうしこくれんらくきょうではさらに大きい3500tのクレーンをあつかっていました。

当時は、放射線ほうしゃせんに対する不安も大きかったのでは。

江頭さん:

江頭好博

 わたし自身、こうした場所で仕事をしたことがなかったので、放射線ほうしゃせんについては漠然ばくぜんとした不安がありました。しかし、講習会を受けたり定期的に検査を受けることで、だんだんと心配は減ってきました。それでも作業員やその家族で不安に感じていた人がいたのは確かで、それを含めて了解りょうかいしてくれた50人あまりの方に、仕事をお願いしたのです。

 作業員さんの宿舎をさがすのも大変でした。まるところはあっても水が出ないのです。やっとのことで、1F構内で作業が始まる2011年6月1日から、「スパリゾートハワイアンズ」の近くに1けんの旅館を確保しました。

緊張感きんちょうかんに満ちた工事だからこそやりげた満足感がある

仕事が一段落いちだんらくして、今はどんなお気持ちですか。

江頭さん:

 大変な作業をやりげたという満足感があります。カバーをかけるときには、100%の成功が見込みこめるようになるまで、小名浜おなはまで時間をかけて徹底的てっていてきにトレーニングをしました。その結果、技術的には自信を持てましたが、やはり訓練と実際とでは緊張感きんちょうかんちがいます。実際に建屋にカバーをかけるときには、体がふるえました。万一、ずれて落ちたら大変なことになってしまいますから。

 もちろん、大きなクレーンで巨大きょだい鉄骨てっこつり上げるのですから、風があってはいけません。初日は、朝3時半に最後の打ち合わせをして、6時の日の出とともに風が止まるなぎ一瞬いっしゅんねらって作業を始めました。

仕事に当たって気をつけることはありますか。

優秀な作業員全体に失敗がゆるされない重要な仕事ゆえ、全国から優秀ゆうしゅうな作業員さんたちが集まり、私たちの仲間となりました。

江頭さん:

 仕事は始める前の準備じゅんびが大切だとつくづく思います。今回の仕事でも、技術力の高い職人さんをそろえたことが成功の秘訣ひけつでした。わたしは「仕事の8わり段取だんどりで決まる」と思っています。将棋しょうぎのプロと素人のちがいは、先の先まで手を読めるかどうかだと言われます。それと同じく、仕事においても、これからどういうことが起こりうるのか、さまざまなケースを考えて先の先まで読める人こそが仕事のプロだと思うのです。

休日はどう過ごしていらっしゃいますか。

江頭さん:

ゴルフコンペ休みの日はゴルフコンペを行い、仲間との親睦しんぼくを深めました。

 月に何回か、千葉県柏市かしわしにある自宅じたくへ帰ってリラックスしています。わたしを含めて1Fで働く社員のほとんどが単身赴任たんしんふにんなので、一体感を保つために清水建設JVの協力会社としてJV主催しゅさいのバーベキュー大会やゴルフコンペなども開いています。とくに楽しみなのは、月に1回のり大会。もっとも、わたしはもっぱら食べるほうで、先日は海釣うみづりに出た仲間から大きなヒラメを食べさせてもらいました。

 また、最近になって一眼レフを買いました。まだまだ使いこなせないでいるのですが、これからは福島県のいろいろなところに行って、美しい風景をレンズにおさめたいと思っています。

プロフィール
江頭好博えがしらよしひろさん
  • 【出身地】佐賀県唐津市さがけんからつし
  • 【好物】あんこうなべ、川内村のシャモ肉
  • 【休日の過ごし方】ゴルフ、写真
江頭好博

1969年入社。東京都庁とちょうを建てるさいには、鉄骨てっこつを組み立てる現場げんば責任者せきにんしゃに。その後、国内はもとより、台湾たいわんでも技術指導ぎじゅつしどうに当たる。電力・エネルギー関係の仕事では、東海原子力発電所、東京・新木場の変電所なども手がけたが、1Fに入ったのは震災後が初めて

つとめ先

株式会社 東京鐵骨橋梁

1914年に清水組(現清水建設株式会社)鉄工部として創業そうぎょう。橋や鉄骨てっこつなどの設計せっけい製作せいさく建設けんせつ調査ちょうさ補修ほしゅうを行うメーカーとして、本州四国連絡橋ほんしゅうしこくれんらくきょうをはじめとし数多くの大型プロジェクトにかかわってきた。また、クレーンや工作用機械の設計せっけい製作せいさくえ付け、修理しゅうり、さらにソフトウエアの開発、販売はんばい処理しょりサービスなども行っている。本店は東京、本社は茨城県取手市にあり、北海道から沖縄まで支店してん営業所えいぎょうしょを持つ。1Fには震災直後しんさいちょくごに50~60人が3交代で入っていた。

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