1 FOR ALL JAPAN 廃炉のいま、あした

1Fを守る仲間たち

西芳照

2016年5月1日

INTERVIEW 09 サッカー選手も作業員の方々も同じお客様おいしい食事で力を発揮してほしい

西芳照西にし 芳照よしてるさん
株式会社DREAM24 代表取締役とりしまりやく
Jヴィレッジ ハーフタイムシェフ

 廃炉作業のベースキャンプとして利用されているJヴィレッジ。そこにある食堂「ハーフタイム」のシェフである西芳照さんは、食堂を運営する株式会社DREAM24の社長でもあり、サッカー日本代表の海外遠征えんせいに帯同して食事を提供するシェフでもあります。そんな西さんに、震災しんさい当時のご苦労や、Jヴィレッジで食事を提供ていきょうする思いをうかがいました。

震災しんさい前からJヴィレッジにいらっしゃったんですね。

西さん:

 ごぞんじの方も多いと思いますが、Jヴィレッジはもともと、サッカーをはじめとするスポーツトレーニングセンターや一般宿泊施設いっぱんしゅくはくしせつとして、1997年に建てられたものです。わたしはそれまで東京の料理店で修業をしていたのですが、Jヴィレッジのオープンを聞き、レストランの社員に応募おうぼして採用されたのです。故郷ふるさとの南相馬市に近く、当時まだ小さかった子どもを自然豊かな土地で育てたいという思いもありました。

階段かいだんにごろする作業員を見てJヴィレッジにもどることを決心した

震災しんさいが起きたときはどうなさったのですか。

西さん:

 3月11日は、仕事場のレストランから着の身着のままで、楢葉ならは町の体育館に避難ひなんをしました。その後、いわき市内の体育館に移動。原発の事故が起きてからは、Jヴィレッジを原発安定化の基地として貸すこととなったため、レストランは休業となりました。そこで、わたしは家族とともに東京に引っ越して、しばらくはJヴィレッジのレストランを運営していた会社のメニュー開発の仕事をしていたのです。

Jヴィレッジに戻ろうと思ったきっかけは?
西芳照

西さん:

 2、3カ月ほどして、Jヴィレッジの調理場のかたづけにもどったときのことです。そこで私が見たのは作業員の方々かたがた過酷かこく状況じょうきょうでした。仕事から帰ってくると、毛布1まいにくるまって、薄暗うすぐら階段かいだんおどり場でているのです。もちろん、温かい食べ物などもありません。わたしは東京でらしているのに、この人たちはわたし故郷ふるさとの復興のためにこんなに苦労して頑張がんばってくれていると知って、大きなショックを受けました。

 その状況じょうきょうを見て、作業員の方々かたがたにせめて温かい食べ物を出したいという要望を提出し、Jヴィレッジ内に食堂を出すことをみとめてもらったのです。妻は反対しましたが、わたしの決心が固いことを知って、ついて来てくれました。

どのような点にご苦労されましたか。
西芳照

西さん:

 まず大変だったのは、人手が足りないということでした。2011年9月14日に開業して、500円でランチをはじめたところ、毎日200人ほどのお客様がいらっしゃって食堂はいつも満員。息をつくひまもありませんでした。しかも、みなさんの声を受けて、夜も営業することになったため、さらにいそがしくなりました。

 食材の調達も大変でした。地元の業者さんも避難ひなんしてしまったので、いわきに買い出しに出なくてはならないのです。ランチが終わると、夕食が始まるまでにいわきに行って買ってきました。2013年7月、1F内に入退域管理施設にゅうたいいきかんりしせつができるまで、こんな日々ひびが続きました。

仕事にやりがいを感じるのはどういうときですか。

西さん:

 現場からつかれてもどってきた人が、温かい食事をとって元気を取りもどすのを見るときですね。実際に、精神的にかなり参って「帰りたい」と口にしていた人が、うちのご飯を食べて「また明日から働く気になったよ」と言ってくれたときは、本当にこの仕事を選んでよかったと思いました。また、わたしはずっとここで働いているので、事故直後に一緒いっしょに苦労した人と再会できるのもうれしいものです。

食材が限られているからといって味をおろそかにするつもりはない

サッカー日本代表の帯同シェフとしてもご活躍かつやくですね。
西芳照

西さん:

 以前は、日本代表が海外で試合をすると、現地の食生活が合わないために、実力を発揮はっきできないということがよくあったそうです。そこで、ジーコ監督かんとく時代の2004年、Jヴィレッジでシェフをしていたごえんで日本サッカー協会から依頼いらいされ、ドイツのワールドカップ予選に初めて帯同しました。以後、南アフリカ、ブラジルのワールドカップにも帯同しました。今年ブラジルで開催かいさいされるオリンピックにも行ってきます。

仕事で大切にしているのはどんなことですか。

西さん:

 もちろん、栄養やカロリーを考えてメニューを選ぶのは当然のこと。そのうえで、食材が限られているからといって、味をおろそかにするつもりはありません。今日来られるお客様を満足させることができなければ、明日そのお客さまが来られることはありません。都会と同じメニューは出せませんが、現在の環境かんきょうでできる限りのおいしい食事をと考えています。サッカー選手にも1F作業員の方々にも、つくる気持ちはまったく同じです。確かに値段ねだんちがいますが、お客様に変わりはありません。

オフの時間はどうしていますか?

西さん:

 いまだに1日まるまる休みがとれないのがつらいところです。楽しみは、仕事が終わった後のビールくらいですね。仕込しこみやかたづけをふくめると、毎日7時から23時ごろまでが仕事。朝は4時ごろに起きるので、睡眠すいみん時間も不足気味です。そんないそがしい合間に、サッカー日本代表の海外帯同があるのですが、往復の機内がちょうどいい休憩きゅうけい時間になります。最近になってうれしかったのは、埼玉さいたまに住んでいたむすめが、わたしいそがしさを見るに見かねたのか、手伝いに来てくれたことです。これからは親子で頑張がんばっていきます。

作業員の方々かたがたに伝えたいことはありますか。
西芳照

西さん:

事故が起きてからも福島に来ていただき、大変ありがたいという気持ちでいっぱいです。みなさんの頑張がんばりが、はま通り、福島、ひいては日本の復興のためになります。大変だと思いますが、これからもよろしくお願いします。

 2018年7月に、Jヴィレッジはリニューアルオープンします。できれば、震災しんさい前のように広く利用してほしいですね。わたしたちも、この土地は安心なのだとアピールしていきたいと思います。

プロフィール
西にし 芳照よしてるさん
  • 【出身地】福島県南相馬市
  • 【好物】福島のなし、お酒はビールと焼酎しょうちゅう
  • 【今したいこと】ゆっくりねむりたい
西芳照

1962年生まれ。1997年の Jヴィレッジ開業とともにレストランで働きはじめる。1999年には天皇皇后両陛下てんのうこうごうりょうへいかがいらっしゃったときの料理を手がけ、その後、総料理長に就任しゅうにん。2004年からはサッカー日本代表の帯同シェフとなり、代表選手や歴代監督かんとくからの信頼しんらいも厚い

つとめ先

株式会社DREAM24

2011年12月に西さんが設立。現在は、Jヴィレッジ内の「ハーフタイム」のほか、広野町にあるレストラン「アルパインローズ」を運営し、地元出身の人を中心に24人が働く。さらに、2016年3月5日に広野町にオープンした商業施設しせつ「ひろのてらす」では、フードコート「くっちぃーな」を出店している。

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