1 FOR ALL JAPAN 廃炉のいま、あした

1Fを守る仲間たち

橋本敦 大隅義敬

2016年6月13日

INTERVIEW 10 1Fで働く作業員みんなでもらった感謝状です

橋本敦橋本はしもと あつしさん
1F港湾内海底土被覆工事共同企業体こうわんないかいていどひふくこうじきょうどうきぎょうたい(五洋建設・東亜とうあ建設工業JV)
現場代理人
大隅義敬大隅おおすみ 義敬よしたかさん
関門港湾建設かんもんこうわんけんせつ株式会社
作業班長はんちょう

 1F専用港湾内せんようこうわんないの海底に沈んだ放射性ほうしゃせい物質を広げないため、海底の土砂どしゃい上げないようにする工事を行ってきました。その作業チームに対し、この4月、経済けいざい産業省副大臣名の感謝状が授与じゅよされました。

 ここでは、1F港湾内海底土被覆工事こうわんないかいていどひふくこうじ担当たんとうした中から、五洋・東亜とうあJVの橋本敦さんと、関門港湾建設かんもんこうわんけんせつの大隅義敬さんにお話をうかがいました。

工事件名は「1F港湾内海底土被覆工事こうわんないかいていどひふくこうじ」ということですが、どのようなことをされたのですか。

橋本さん:

 1Fの港湾内こうわんないには、原子炉げんしろ建屋からの飛散物や汚染水おせんすい漏洩ろうえいなどにより放出された放射性ほうしゃせい物質が海底にしずんでいました。わたしたちの仕事の目的は、放射性ほうしゃせい物質がふくまれる土砂どしゃい上がって広がらないようにすることです。そのために、海底の土砂どしゃの上にカバーのようなもの(セメントを混ぜた改良土)をかぶせてふうめるわけです。これが「被覆ひふく」という作業です。

 この作業には11の企業きぎょうが参加しましたが、これまでに経験したことのない工事でしたから、方法を考えるところから始まりました。どんな材料を使い、どこで、どのように製造し、どうやって施工しこうすればよいかということを、室内での実験や現地での試験施工しこうをしながら進めていったのです。

海底にかぶせる材料(土)を開発するまでにさまざまな試行錯誤さくごがあった

どのような工夫をしたのですか。

橋本さん:

橋本敦

 最初の仕事は2012年1月から5月にかけて行われました。港湾内こうわんないにある1~4号機の取水口と、5、6号機の取水口の前面にある海域かいいきの海底を被覆ひふくしました。それに続く2回目の工事は2014年5月から始まり、港湾こうわん全体の約18万㎡という広い範囲はんいにわたって被覆ひふくするもので、今年3月に一通り完了しました。

 この工事では、海底の土砂どしゃの上を二重に被覆ひふくしたことが大きな工夫でした。海底の表面にあるどろは非常に軽いものなので、それより重い材料でかぶせようとしてもうまくいきません。重い材料が下にもぐってしまい、時間がたてば汚染おせんされたどろがまた上になってしまうのです。そこで、そのどろよりも軽い特別な土(改良土①)を作り、まず1層目そうめにかぶせてい上がりをなくします。そして、その上にきっちりさえるものとして、さらに新しく開発した土(改良土②)を2層目そうめにかぶせたのです。この1層目そうめと2層目そうめの土を開発することが、試行錯誤さくごの連続でした。

 2Fの構内に、そうした改良土を製造するプラントを作り、船で1Fまで運んでセメントと混ぜたうえで、海底にめていくという作業をり返しました。

大隅さん:

 船で運んだ改良土を海底にしずめるのですが、悪天候や海がれたりすると仕事ができません。細かい打ち合わせをしながら、作業を進めていく毎日でした。工期を守りつつ海難かいなん事故もゼロで終えることができたのは、作業メンバーの努力とコミュニケーションの賜物たまものだと思います。

わたしたちの仕事が復興への手助けとなったことが一番の喜び

海の上での作業は大変ではありませんか。
大隅義敬

大隅さん:

 以前は保護服を着て全面マスク着用でしたので動きにくかったのですが、最近になって構内作業服と紙マスクになったので負担ふたんが減りました。もちろん夏の熱中症対策ねっちゅうしょうたいさくはしていますが、陸上での作業にくらべると、海風が吹いてくる分だけ楽かもしれません。

 わたしが1Fに来たのは、震災しんさいからまだ1年もたっていない2012年2月でした。原子力関係の仕事は初めてでしたので、正直なところ、来る前は放射線ほうしゃせんが気がかりでした。でも、実際に現場に来たら、震災しんさい復興のために自分が少しでも力になるという使命感のほうが大きくなりました。なによりも、1Fで作業ができるのは限られた人間ですし、社内でこのチームに自分が選ばれたことをほこらしく思っています。

仕事が一段落いちだんらくして、今はどのような気持ちですか。

大隅さん:

 今回の仕事が終わったことで、復興への手助けをはっきりと形に表すことができたような気がします。地元の下関にいても、こういう感動を味わう機会はなかなかありません。もちろん、義援金ぎえんきんのような形での手助けはできますが、直接1Fの現場に来て作業にたずさわれるのはめったにないチャンスですし、自分たちがしてきたことに満足しています。

橋本さん:

チームメンバーチームメンバー同士のコミュニケーションと努力によって、工期の厳守げんしゅ海難かいなん事故ゼロを達成することができた

 幸運にも、わたしたちの作業がみとめられ、経済けいざい産業省副大臣名の感謝状までいただきました。感謝状には3社の名前しか出せませんでしたが、もちろん参加企業きぎょう11社、作業員74人すべてに対する感謝状ですので、みんなで喜びを分かち合いました。

また、1Fではわたしたちのような大きな工事だけでなく、清掃やかたづけなどの作業をしている方々かたがたがいらっしゃるからこそ、全体の廃炉作業がうまく進んでいるのだと思います。わたしたちの工事は目立つものだったから、たまたま感謝状をもらえたのでしょう。1Fで働くすべての方々かたがたを代表してわたしたちが受け取ったものだと考えています。

遠距離えんきょりに住む家族を思うことが今日の仕事の大きな原動力に

オフの時間はどんなことをしていますか。

大隅さん:

 宿舎は小名浜にあって、同じ作業チームのうち地元の人をのぞいた60人ほどが寝泊ねとまりしています。朝は3時半に起きて、夜は21時か22時ごろにるという生活ですから、平日はほかのことをする余裕よゆうはほとんどありません。

 それでも、休みの前日は仲間と居酒屋に行くことはあります。作業チームは、仕事中は緊張きんちょうしていますが、仕事が終われば和気あいあい。毎日のミーティングで反省するだけでなく、居酒屋では笑い話を交えながら仕事についてあれこれと語り合っています。

橋本さん:

 共同企業体きぎょうたいに参加している会社によって、それぞれの特色があっておもしろいのですが、みんな海の仕事をしているという点で共通しているので、お互いにうまく理解できていると感じています。

 わたしの休日の楽しみの一つは仲間とのゴルフです。自宅じたく横浜よこはまにあって、妻と小学校6年生と1年生になる2人の子どもがいます。もちろん、家族のところに月に2回ほど帰るのが一番の楽しみです。

大隅家族下関にかえったときに、愛犬同士の集まりに出席してみんなで遊ぶのが、仕事の原動力になっている

大隅さん:

休日には、情報を仕入れていろいろと食べ歩きをしています。とくにラーメンが好きで、先日は会津あいづの喜多方まで行き、有名な喜多方ラーメンを4けんほど回ってきました。

下関に妻と愛犬1匹いっぴきがいますが、福島から遠いのでしょっちゅう帰るわけにはいきません。長い休みは、年末年始、大型連休、おぼん休みの3回ですが、船にはだれかが交代で残っている必要があるので、結局、帰れるのは年2回ほどです。下関に帰ったときには、妻の手料理を味わい、愛犬仲間の集まりに出席してみんなで遊ぶのが何よりの楽しみ。その日を指折り数えて待つことが仕事の原動力になっています。

プロフィール
橋本はしもと あつしさん
  • 【出身地】神奈川県横浜市かながわけんよこはまし
  • 【好物】カレーライス
  • 趣味しゅみ】ゴルフ
大隅おおすみ 義敬よしたかさん
  • 【出身地】山口県下関市
  • 【好物】魚、アルコールはなんでも
  • 趣味しゅみ】福島県内食べ歩き、ゴルフ
橋本敦

橋本はしもと あつしさん

  • 【出身地】神奈川県横浜市かながわけんよこはまし
  • 【好物】カレーライス
  • 趣味しゅみ】ゴルフ

橋本さんは1995年入社。青森県の東通原子力発電所や2Fで、港湾こうわんを整備する仕事に従事じゅうじしてきた。1Fに来たのは震災しんさい直後の2011年5月。妻と小学生2人の子が待つ横浜よこはま自宅じたくへは、月に2回ほど帰っている

大隅義敬

大隅おおすみ 義敬よしたかさん

  • 【出身地】山口県下関市
  • 【好物】魚、アルコールはなんでも
  • 趣味しゅみ】福島県内食べ歩き、ゴルフ

大隅さんは1995年入社。羽田空港拡張かくちょう工事や横浜よこはまの本牧港の工事で、浚渫しゅんせつめ立てなど、海洋土木の仕事をしてきた。数少ない長期の休みには、下関しものせき自宅じたくに帰っておくさんの手料理を味わい、愛犬に会うのが楽しみ

つとめ先

五洋建設株式会社

1896年、広島県くれ市に五洋建設の前身である水野組が設立。明治時代から日本各地で土木工事、建築工事を手がけてきた。1967年に社名を五洋建設株式会社に改める。海洋土木を中心に、国内では関西国際空港2期工事、羽田空港拡張かくちょう工事、東京わんアクアラインのほか、海外でもスエズ運河の拡幅かくふく工事などを手がけている。

関門港湾建設株式会社

1918年創業そうぎょう、1951年設立。山口県下関市に本社を置き、数多くの作業船を所有して港湾こうわん・海岸・空港の整備など、海洋土木事業を行っている。国内では、本州四国連絡橋れんらくきょう浚渫しゅんせつ工事、関西国際空港や明石海峡かいきょう大橋での埋立うめたて工事などを手がけているほか、海外でもトルコのボスポラス海峡かいきょう横断鉄道の建設工事に参加した。

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