1 FOR ALL JAPAN 廃炉のいま、あした

1Fを守る仲間たち

原守哉

2016年8月10日

INTERVIEW 14 大勢の作業員が一致団結して工事を工夫し、工期内にやり遂げた

原守哉はら守哉もりやさん
株式会社熊谷組くまがいぐみ東北支店
福島原子力対策部たいさくぶ
福島第一工事所 福島第一原子力作業所
副所長

 1~4号機原子炉げんしろ建屋のまわりにった雨水を海に流していたK排水路はいすいろは、今年の3月27日に、排水先はいすいさき湾内わんないに付けえました。2015年5月から始まったこの工事が完成したことによって、放射ほうしゃ性物質を含む雨水が直接外海に流れることがなくなり、環境かんきょうへの影響えいきょうを少なくすることができました。今回お話をうかがうのは、新しい工法のリーダーを務めた熊谷組くまがいぐみの原守哉さんです。

K排水路はいすいろの付けえ工事では、どこに気をつけましたか。

原さん:

 一番気を付けたのが、汚染おせんされた雨水が外海に流れなくなるよう、1日でも工程を早めたいということでした。実は、2015年11月にトラブルがあり、工事がおくれてしまったのですが、2016年3月末までに付けえを終える必要がありました。

 しかし、通常の工法では、期間内に工事を終わらせることができません。安全を保ちつつ、工期を短くできる工法を考える必要がありました。

新しい工法を採用することで工期内に終えることができた

どういう工法を考えたのでしょうか。
原守哉

 通常、コンクリートで構造物をつくるときは、工事現場に型枠かたわくを組み、そこにまだやわららかい生コンクリートを流しむという方法をとります。そして、コンクリートが固まったら型枠かたわくを外して、次の場所に移動して作業を続けるというのが一般的いっぱんてきです。

 ですが、時間がありませんでしたから、工場でつくったコンクリート製の部材を型枠かたわくとして使うことで、解体、移動の時間を省いて排水管はいすいかん基礎きそをつくる工事を考え出したのです。

工事はうまくいきましたか。

 工事の出来を左右したのは、既設排水路きせつはいすいろと新しい排水路はいすいろの接合する部分で、うまくその部分を合わせられるかどうかです。ここがうまくつながらないと、水がスムーズに流れません。そこで、推進すいしん工法というやり方でトンネルをることにしました。これは、新しくつくる排水路はいすいろのコースに沿って、発進側と到達側とうたつがわ立坑たてこうり、発進立抗たてこうえた推進機すいしんきの後部に工場でつくったコンクリート管を接続、ジャッキの推力すいりょくで前方にし出し、コンクリート管を次々に接続してトンネルをつくる工法です。

 この工法では、精密せいみつな測量が必要となります。ここが一番大切な作業だったのですが、ずれることもなく、予定通りに既設排水路きせつはいすいろと新しい排水路はいすいろがつながり、うまく付けえられたのです。

無事に付けえ作業が終わって、どういう気持ちでしたか。

 事故もなく予定の工期内で仕事を終えることができ、ほっとしています。感謝状もいただいて感無量です。

 1Fには、熊谷組くまがいぐみから職員30名、作業員120名が来て仕事をしています。そのうち、K系排水路けいはいすいろ付けえ工事には、多いときで職員が8名、作業員は30名ものメンバーが関わりました。現在は後片付あとかたづけの仕事になったので、その3分の1ほどに減っています。

 うまく仕事が終えられたのは、チーム全体がまとまった集団となって、うまくコミュニケーションをとれたのが大きな理由だと思います。人数が多いので、最初は顔と名前を覚えるのが大変でしたが、機会を見つけて雑談をしながら、信頼しんらい関係を築いていきました。 仕事のことだけに限らず、いつでも気軽に話をすることが大切だと思います。

2Fの設計をしたのがえんと考え震災しんさい直後にも応援おうえんに入る

ところで、震災しんさい直後にも1Fにいらっしゃったことがあると聞きました。
原守哉

 最初に1Fに来たのは、2011年10月です。熊谷組くまがいぐみの各支店では、震災後しんさいご、社員が交代で1Fに応援おうえんに入ることになっていました。わたしは入社直後に2Fの設計の仕事をしたというえんがありましたので、「これは進んでお手伝いをしなくてはいけないな」と思い、自分から手を挙げたのです。すでにガレキはかたづいていましたが、まだまだ線量の高い場所が多くありました。

 そのときの仕事は1カ月だけで、道路沿いに電線管路を設ける際の擁壁ようへきをつくる仕事や、水処理しょりのプロジェクトなどを行いました。

 その後、いったん1Fをはなれたのですが、2014年にC系排水路けいはいすいろ付けえ工事のために、再び1F入りすることになりました。そして、2015年5月からは、K系排水路けいはいすいろ付けえ工事の作業に入ったのです。

1Fは、ほかの現場とくらべて、どのようなちがいがありますか。

 現場ではヘルメットと安全ぐつは必ず身につけますが、全面マスクと保護衣をつけての作業は大変です。1Fに来る前は、沖縄おきなわでダム工事の仕事もしましたが、いつでも水が飲めましたし、休憩きゅうけいもその場でとれるので、熱中症ねっちゅうしょうの心配はありませんでした。その点を考えると、作業中にトイレに行くのにも手間がかかる1Fは特別な場所ですね。

 また、朝は早く起きなければなりません。広野にある事務所けん宿舎を5時に出発、6時に構外の休憩きゅうけい所で朝礼をして、1Fの現場には7時半ごろ到着とうちゃくします。昼の休憩きゅうけいと移動をはさんで作業は15時まで。事務所に戻り、残業のときは21時ごろになることもよくあります。

 仕事が終わると、平日は食事をしてるだけ。同僚どうりょうと宿舎で酒を飲みながら語り合うのが楽しみの一つです。アルコールは何でも飲めますよ。

ご家族はどこにいらっしゃいますか。
原守哉

 自宅じたく金沢かなざわにあり、今は妻が一人でいます。子どもは2男2女いるのですが、みな成人しており、岩手、神奈川かながわ、長野、奈良なら県とばらばらに住んでいます。

 金沢かなざわは遠いのでなかなか帰ることができませんが、妻の実家が栃木とちぎ県にあり、義母が畑で野菜をつくっているので、月に1、2回ほど顔を出して手伝いをしています。わたしは素人なので、なえを植えるといった作業はまだできませんが、畑を耕したり草りをしたりと、力仕事をしています。

 やってみるとなかなか楽しいもので、定年になったら将来しょうらいは農業をしてみたいと思うようになりました。

プロフィール
はら 守哉もりやさん
  • 【出身地】宮城県大郷町みやざきけんおおさとちょう
  • 【好物】メヒカリ
  • 【趣味】畑仕事
原守哉

1975年入社。初仕事が2Fの設計。その後、沖縄おきなわのダムや各地のトンネル工事などを担当たんとう。北陸に転勤てんきん後、黒部川の支流、黒薙川くろなぎがわに設置された水力発電所や導水路トンネル改修の施工に従事じゅうじ。2011年には1カ月ほど応援おうえんのために1F入り。2014年4月からは1Fで作業を続けている

つとめ先

株式会社熊谷組

1898年創業そうぎょう、1938年株式会社設立。総合建設会社として、国内では新宿野村ビルディングなどの高層こうそうビル、青函せいかんトンネルや黒部トンネルなどのトンネル工事のほか、ダム工事などの大型土木工事に大きな実績を残している。国外でも「台北たいぺい101」や香港ほんこんの「中国銀行タワー」など数多くの著名ちょめいな建築物の工事を手がけている。

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