1 FOR ALL JAPAN 廃炉のいま、あした

1Fを守る仲間たち

相笠 敏秋さん

2017年1月18日

INTERVIEW 23 緊張感のなかでも仕事は楽しく仕事が終わってからの気分転換も大切

相笠 敏秋さん 相笠あいがさ 敏秋としあきさん
株式会社大木組
工事本部

 1Fでは、廃炉はいろに向けて広い構内の各所で大規模だいきぼな工事が進められています。そこで欠かせないのは、建物に足場をかけたり、その上でさまざまな作業をする作業員の方々。ほかの建設会社と協力して、そうした作業を担当たんとうしているのが大木組です。現在、固体廃棄物貯蔵庫第こたいはいきぶつちょぞうこだい9とうの建設現場で、PC建方工事全体を管理している相笠敏秋さんにお話をうかがいました。

PC工事とはどのような工事なのですか。
相笠 敏秋さん

 PCとは英語の「プレキャストコンクリート」を略したものです。まず、建物のはりにあたるコンクリートの部分を、前もって工場でつくっておきます。現場では柱にあたる部分を組み立てておき、そこに工場でつくったはりを運びんで、積み木のように組み立てるのです。そして、グラウトとばれる原料を水で練ったもので、柱のつぎ目をめていきます。これがPC工法とばれるものです。

 現在、私たち大木組は、前田建設工業を中心とした各職種の協力会社で仕事をしており、クレーンを使ったPCのえ付け作業やグラウトの注入を担当たんとうしています。

2011年の現場とは様変わりここで働く仲間の努力の賜物たまもの

仕事上でとくに気を使うのはどういう点ですか。

 PC工法の作業でむずかしいのは、クレーンの玉掛たまかけ──つまり、持ち上げるものをクレーンに引っかけてり上げる作業です。PCは重いもので15トンにもなりますから、ったときにクレーンのたわみができて、どうしてもPCが動いてしまいます。そこにはさまれたら重大ですから、荷の重さとクレーンのたわみを考えながら操作そうさしなくてはなりません。

 軽いものならともかく、これだけ重いものは熟練者でないとできません。もちろん、作業前の入念な打ち合わせは欠かせません。

相笠さんは、いつから1Fにいらっしゃったのですか。

 今回の仕事で1Fに入ったのは2015年10月ですが、最初に来たのは事故直後の緊急きんきゅう対応として入った2011年8月のことでした。やはり、ほかの建設会社などと共同作業体を組んで、3号機のがれき撤去てっきょのために足場を組んだのです。このときは、PC工事ではなく、現場で鉄骨てっこつを組んでいきました。

 まだ線量が高かった時期ですから、仕事は時間との勝負でした。場所にもよりますが、現場には5分から30分ほどしかいられません。現場に着いて2、3分でAPD(警報けいほう付き個人線量計)が鳴り出すこともあり、ボルトを1本めるだけでもどらなくてはならないということもめずらしくありませんでした。

現在とは状況じょうきょうがまったくちがいますね。

 現在は、線量もほとんど気にせず、服装ふくそうも軽装備そうびでよくなったので、本当に楽になりました。これも1Fで働くすべての仲間の努力の賜物たまものだと思っています。

 以前は、防護服になまりのチョッキを着込きこんで、全面マスクをしなければなりませんでした。最初に入ったのが夏のおぼんの時期でしたから、あせたきのようにしたたり落ちてきたのを思い出します。

わかい作業員とも共通の話題を見つけてコミュニケーションを図る

1Fでは何人が働いていらっしゃいますか。
相笠 敏秋さん

 大木組からは41人です。継手つぎて措置そちのグラウド工が14人、あとは鳶工とびこうが27人。協力会社をふくめて現場には5はんが入っており、私はそれぞれの職長に指示をする立場にあります。

 1Fは、失敗ができない特殊とくしゅな場所での工事ですから、基本的にベテランを中心に選抜せんばつしています。ただ、2011年に来たときは全面マスク着用でしたから、もっと大変でした。現場ではほとんど声が通りませんから、熟練じゅくれんした経験者でないと仕事になりません。それにくらべると、現在のチームはバランスのよい構成になったと思っています。

 もちろん仕事上の緊張感きんちょうかんは大切ですが、「せっかく仕事をするのだから、仕事は楽しくやろう」と、みんなにつねづね言っています。そして、気分転換てんかんも大切です。仕事は仕事、遊びは遊びとメリハリをつけ、「家に帰るときは復興支援しえんでお土産をいっぱい買って帰るように」とも伝えています。

チームワークを図るために大切なことはなんでしょうか。

 とくに大切なのは、全部で5はんも入っているので、横のつながりをしっかりしないといけないということですね。そうしないと、仕事がばらばらになってしまいます。そこで、職長とはもちろんですが、わかい作業員に対しても、仕事の話に限らず、ゴルフ好きな人にはゴルフの話、車好きには車の話をというように、機会をみつけてコミュニケーションをとるように心がけています。そして、仕事が終われば、私の好きなお酒を通じて、いわゆる「飲みニケーション」もよく図っています。

1Fでは「守られている」という実感があり安心して作業に取り組むことができる

どういうことにやりがいを感じますか。

 1Fではほかの現場とはちがって、放射線量ほうしゃせんりょうや作業時間など、さまざまな制限があります。そうしたなかで、さまざまな工夫をしながら仕事をやりげたときの達成感は格別です。

 今回の工事はまだ続いている最中ですが、前回の工事では、遠隔操作えんかくそうさのクレーンで上下の鉄骨てっこつをつなぐためにずいぶん苦労しました。何度もメンバーがり返し打ち合わせをして、最後にうまくいったときの喜びはひとしおでした。

1Fに来てよかったと感じることはありますか。

 放射線ほうしゃせんに対する教育を受けて、知識が増えたのはよかったと思います。残念ながら、東京に帰ると、単に「放射線ほうしゃせんこわい」という程度の知識しかない人が多いように見受けられます。また、1Fで働く作業員のおくさんも、知識がないために必要以上に心配している人がいると聞きます。

 確かに、いくら耳で聞いていても、実際にこういう場所に来てみないと、線量をきちんと管理していることがピンとこないのでしょうね。でも、ここで働いていると、「守られている」ということを実感します。放射線量ほうしゃせんりょうの基準がはっきりと示されており、えそうになったらもどることを義務づけられていますので安心です。しかも、その基準自体もかなり余裕よゆうをもって設定してあるので、これを守っていれば健康面を心配することなく仕事に集中できます。

平日の夜や休日はどのように過ごしていますか。

 仕事が終わり、仲間と「今日もよく頑張ったな」と言いながらビールを飲むのは、何ものにも代えられない喜びです。もっとも、私はいわきのアパートに住んでいますので、仕事があるときは朝3時40分ごろに出なくてはならず、あまり深酒をするわけにはいきません。

 休日は、テレビを見たりゴルフをする程度ですね。東京の実家には母が一人で住んでいるので、月に1回はもどるようにしています。府中市にある本社の近くには、おいしい立ち飲みの店があるので、そこで串焼くしやきを食べながら会社の同僚どうりょうと飲むのが、東京に帰ったときの楽しみですね。

相笠 敏秋さん

1990年入社。現在はいわき市にお住まい。休日はテレビを見たりゴルフをしたりして過ごしている。実家がある東京には月に1回は帰っており、そのときに、本社近くのおいしい立ち飲みの店に行くことが楽しみだという

廃炉はいろに向けて頑張がんばっている人間がここにたくさんいるということを、世間のみなさんにぜひ知っておいてほしいですね。

プロフィール
相笠あいがさ 敏秋としあきさん
  • 【出身地】東京都八王子市
  • 【好物】ビールと串焼くしや
  • 【休日の過ごし方】いわき市内でゴルフ
つとめ先

株式会社大木組

1949年に創業そうぎょう。とび・土工工事、PC組み立て工事などを得意とする土工工事の専門せんもん会社。超高層ちょうこうそうビルをはじめ、高い技術が求められる建築の現場を数多くになう。

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