2017年4月17日
- 田中 敏さん
- ウツエバルブサービス株式会社
福島事業所
副所長
- 井出 正人さん
- ウツエバルブサービス株式会社
福島事業所
放射線管理グループリーダー
放射線管理責任者(1F)
今回ご紹介するウツエバルブサービスは、社名の通り、配管内の液体や気体の流れを調節する「バルブ」の保守点検という、発電所や工場を安定して動かすために欠かせない仕事をしている会社です。しかし、震災後の1Fにおいては、バルブ関係にとどまらず、廃炉と復興に向けて様々な業務を手がけています。そうした仕事をするなかでの、ご経緯ややりがいをうかがいました。
震災直後の免震棟の様子を見て以来
夢中になって仕事をしてきた
震災後はいろいろなお仕事をなさってきたと聞きました。
田中さん:
私たちの本来の仕事は、配管内の流れを調節するバルブの保守・点検です。とくに、発電所や大きな工場を中心に仕事をしています。ところが事故後の1Fでは、そうした仕事が少なくなってしまいました。震災直後は、1Fの構内に入る車両の除染をしたり、座席のシート養生をする仕事もしました。
その後、皆で知恵を振りしぼって、配管・バルブ・機器などの据え付け工事をメインに、できる仕事は何でも行っています。ほとんどが初めての仕事ばかりで大変ですが、当社従業員と協力企業さんのご協力に感謝しております。
井出さん:
私は入社以来、1Fで放射線管理の仕事をしてきました。現在も同じで、構内で活動する企業の方々から放射線管理計画書をいただき、それを振り分け・入力・送信する仕事もメンバーと一緒にしています。そこで大切なのは、各社からいただいたサーベイデータ(放射線管理データ)を整理して記録することです。その記録をもとにして、構内の各地点での放射線量を示した地図「サーベイマップ」を作成して、1F構内の決められた場所に貼り出しています。
そのほか、約50人のメンバーが24時間3交代も含め、登録センター休憩所やレッドゾーンに入るときの装備着脱所で、身体サーベイ(身体表面の放射線検査)や装備のチェック、装備の回収などの仕事をしています。また、現場に行く人が作業者証、ガラスバッジ、警報付きポケット線量計(APD)をしっかりと着用しているかの確認、全面マスクとフィルターがしっかり装着されているかの確認などもしています。
本来の仕事とは違うので、最初はとまどいましたか。
井出さん:
そうですね。事故直後の2011年3月下旬、2Fに呼ばれて放射線管理の仕事をしていたのですが、5月になってから1F構外に専用休憩所をつくる話があって、そこの出入り管理をしないかと声をかけられたのです。このときは、正直なところ、すっきりしない気分でした。本来の仕事とはずいぶん違いますから。
でも、1F構内の免震棟に初めて入ったときに、大きく心が動かされました。階段や通路に人があふれていたのです。階段では一段ごとに作業員が一人座っていて、人が通れるスペースがようやくあるだけ。階段の両脇で寝ている人も当たり前にいました。この様子を見て衝撃を受け、私の中のエンジンに火がついたような感じがします。
会社と相談して、夢中になって仕事をしました。まず、利用可能な旧緊急対策室を休憩所に拡大して作業員の方々がゆっくり休めるよう、事業所総出で除染を始めました。それが1Fでの様々な作業のスタートです。
初めて1Fで働く作業員のために
訓練や研修をじっくり行う
いろいろと難しい点もあるかと思いますが、どのような工夫をなさっていますか。
田中さん:
一番大変なのは、本来業務であるバルブメンテナンスの仕事が少ない中、技術レベルをどう維持するかです。1F以外でのバルブの仕事を社内でうまく調整して、技術を維持するように工夫しています。
また、以前は地元の職人さんが多くいたのですが、遠方に避難をした方も多いために、職人さんの確保が難しくなっています。そこで、震災前に働いていた職人さんと連絡をとり、情報収集をするように努めています。
井出さん:
震災前とは現場の状況がまったく変わっているのが、仕事を進める上で難しいですね。そのため、いろいろと情報を集め、その情報をもとにして作業員や担当者の人たちと話し合いながら、一番よい方法を選ぶように心がけてきました。もちろん、コミュニケーションは欠かせません。
また、作業員の方の中には、初めて原子力発電所で働くという人が半分以上います。もちろん、当初は放射線の知識もなく、原子力発電所での仕事のルールもわかりません。そのため、工事の前には必ず、作業の手順や放射線の対策をじっくりと説明して、十分に理解してもらいます。装備の着脱、体感訓練も実際にやって、肌で感じることを重視しています。それぞれの工事ごとに、こうした訓練を行っており、その他にも、社内全体を対象にして、年に1、2回、研修会も行っています。
福島事業所には何人くらいいらっしゃるのですか。
田中さん:
社員、協力企業を含めて約200人です。以前は、1Fと2Fのそれぞれに事務所がありましたが、震災直後から合同事務所になり、2016年には楢葉町に福島事業所を開設しました。社内の交流が活発なのが特徴で、以前から、社員、協力企業の親睦を深めるために、年に3回ほどソフトボール大会も開いています。
井出さん:
2016年のソフトボールは残念ながら参加できなかったのですが、あとで写真を見せてもらったら、副所長をはじめ、仮装して参加している人がいてびっくりしました。そんな和気あいあいとした雰囲気の会社です。社内の仲間と飲みにいったり、ゴルフに行ったりするのはしょっちゅうです。また、地元出身者が多く、復興に関してはみな人一倍強い気持ちを持っていますね。
自分の仕事が世界に発信されているので
やりがいを感じるとともに身が引き締まる
この仕事をやってよかったと感じるときはありますか。
田中さん:
私は、1990年の入社以来ずっと1Fで仕事をしてきました。自分にとって1Fは家族のような存在であり、今でもマイプラント意識を持って働いています。ですから、1Fが事故でこんな姿になったのは残念ですが、ケガをした家族のように思え、この廃炉作業をやってきてよかったと感じています。40年以上かかる廃炉作業ですので、最後まで見届けることは難しいでしょうが、少しでも協力していきたいと思っています。
井出さん:
私たちが除染をした建物が、作業員のみなさんの休憩所として使えるようになったときは、「これでみんなゆっくり休めるかな」と感無量でした。しかも、みなさんから「ありがとう」という言葉もかけてもらえました。このときは、本当にこの仕事をやってよかったなと感じました。
最近では、私たちのまとめた放射線のデータについて、「あなたたちの仕事が世界に向けて発信されていますよ」と言われ、改めて「大変な仕事をしているんだな」と気がつきました。やりがいを感じると同時に身が引き締まる思いです。
休日はどのように過ごしていますか。
田中さん:
仕事と休みの切り替えは、うまくできる性格ですので、休日は仕事のことを忘れてのんびりとしていますね。月に1、2回は、仕事の仲間と好きなゴルフを楽しんでいます。
井出さん:
私は地元の双葉郡川内村で消防団の分団長をしており、休日はよく消防の行事に参加しています。とくに、2016年9月に開かれた第40回福島県消防操法大会の準備のために、2016年は忙しかったですね。この大会は、いかに速く正確にポンプで放水するかを競うもので、年に40日以上は練習が必要です。選手の支援や大会の応援もしていたので、好きなゴルフも回数が減ってしまいました。
田中 敏さん
1990年入社。浪江町出身で、現在はいわき市内で家族と住んでいます。繁華街が家の近くにあるので、仕事の仲間と飲みに行くことも多いですね。
井出 正人さん
2001年7月に入社して以来、放射線管理の仕事一筋でやってきました。現在は、双葉郡川内村の自宅から通っています。
地元の人が安心して住めるような環境に戻すため、正確に確実に仕事を進めていきます。
- プロフィール
-
田中 敏さん
1990年入社。浪江町出身で、現在はいわき市内で家族と住んでいます。繁華街が家の近くにあるので、仕事の仲間と飲みに行くことも多いですね。
井出 正人さん2001年7月に入社して以来、放射線管理の仕事一筋でやってきました。現在は、双葉郡川内村の自宅から通っています。
- お勤め先
-
ウツエバルブサービス株式会社
1969年設立。バルブの保守管理を主な業務としている。震災後は福島事業所を中心に、除染や放射線管理などで復興に貢献している。