2017年4月18日
- 鶴島 富二夫さん
- 東京レコードマネジメント株式会社
福島支社
福島第一原子力グループ
マネージャー
- 高木 京子さん
- 東京レコードマネジメント株式会社
福島支社
福島第一原子力グループ
課長
- 上田 裕伯さん
- 東京レコードマネジメント株式会社
福島支社
福島第一原子力グループ
- 石橋 和也さん
- 東京レコードマネジメント株式会社
福島支社
福島第一原子力グループ
- 西岡 雅子さん
- 東京レコードマネジメント株式会社
福島支社
福島第一原子力グループ
1Fで作業を進めるには、設備や機器に関する図面や文書は欠かせません。設備のどこに何があるのか、どの機器とどの機器がつながっているのかなど、正確な設計図や記録があるからこそ、安全に作業を進めることができます。今回は、そうした図面や文書を記録・保管し、必要に応じてすぐに取り出せるよう管理している東京レコードマネジメントのみなさんにお話をうかがいました。
1Fに関する情報が集まる
図書館のような存在
みなさんはどのようなお仕事をしているのですか。
鶴島さん:
私たちの仕事場は新事務本館内にある図書管理室です。そこは、1Fに関する資料を集めた図書館のようなものと考えてもらえるとよいと思います。主な仕事は、1Fにある設備や機器などの設計図、集中化された図書や記録などの管理です。
高木さん:
そうした記録をしっかりと管理すると同時に、1Fの安定化工事や廃炉作業で必要とされたときに、すぐにお見せできるように情報を提供するのが私たちの仕事です。保管した記録を検索しやすくするために、データベースに登録したり、紙に書かれた記録を電子化したりしています。
震災前と震災後でお仕事はどのように変わりましたか。
鶴島さん:
震災前は事務本館に図書管理室があり、今と同じように発電所内の設備の記録を管理したり情報を提供したりしていました。震災後に大きく変わったのは、1F構内で安定化のために設備が増えたことですね。それまでとは違って、浄水設備やタンクなどが次々に作られていったので、そうした図面が増えていきました。
上田さん:
震災が起きたころは、ちょうど電子化を始めたばかりのときだったので、大半が紙かマイクロフィルム(写真フィルム)のまま残されていました。そのままでは検索するのに時間と手間がかかってしまいますので、ほかの作業をしながら少しずつ電子化を進めることが求められました。
西岡さん:
私は震災前まで2Fで仕事をしていました。震災後に1Fに来たのですが、2Fと1Fとでは発電所の構成が違っていて、私たちの仕事の手順も異なっていました。最初のうちは戸惑うこともずいぶんありましたが、今では慣れました。
新しい設備が次々と増えたために
2年間で300枚以上の図面を作成
どのようなことが大変ですか。
石橋さん:
私は主に福島第一原子力発電所の基本図面を作成する仕事をしています。今でも、新しい設備が次々に増えているので、そのたびに図面を描かなくてはなりません。ここ2年間で300枚以上も図面を描きました。いろいろな機器のつながりや電線のつながりをまとめたもので、実際に設備を運転するときにも使われる図面です。多くの技術者の方から、自分たちが使いたい図面はいつできるのかというご要望に追われてきました。
難しいお仕事だと思いますがどういう点に工夫をしていますか。
上田さん:
一番の問題点は、震災前につくられた紙やマイクロフィルムの図面が、以前の事務本館に残されたままになっていることです。しかし、簡単に立ち入ることができず、図面も放射線量が高いためにそのまま持ってくるわけにはいきません。そこで、協力会社の方々にお願いして、放射線対策をしたうえで事務本館に入り、そこで図面を電子化していただき、ネットを通じて電子データで送ってもらっています。
高木さん:
タンクが次々に建てられたり、震災前には見たことがない設備がどんどんできてきました。それに合わせて、記録をうまく整理して保存することに力を入れています。というのも、発電所設備について区分けや設定が変わっていくと、データの検索が難しくなってしまうためです。どうやって整理すれば、見たいデータがすぐに出てくるのか、勉強会をしながら進めています。
資料をうまく探し出せたときの
感謝のことばにやりがいを感じる
社員の方々は何人くらいいらっしゃるのでしょうか。
高木さん:
以前は、地元の方を中心に100人ほどいましたが、震災後は県外に避難した人や退職した人が多く、現在は20人に減ってしまいました。人数は5分の1になったうえに覚えなければならないことは増えました。新しいメンバーに対する研修もしていますが、経験が豊富な社員が限られているのが悩みの種です。今後は、人材育成を進めていくことが大切だと考えています。
鶴島さん:
社員の多くが双葉郡出身者です。現在はいわき市内に住んでいる者も多く、自社のバスで朝夕2時間かけて通っています。バスは朝夕1本ずつ。朝はいわきを6時半ごろに出発して、夕方は17時20分に1Fを出ます。また、南相馬市方面にも、朝夕1本ずつのバスが出ています。いずれにしても、帰りのバスの時間に合わせて仕事をきっちりと終わらせなくてはなりません。
この仕事をやっていてよかったと感じたことはありますか。
西岡さん:
必要とされる資料を、うまく探し出せたときはうれしいですね。「ありがとう」と感謝の言葉をいただくと、本当にこの仕事をやっていてよかったと感じます。また、社内の人数は少ないながらも、声をかけ合いながら和気あいあいと作業をしています。
石橋さん:
廃炉作業に図面は欠かせません。私たちの仕事は地味ですが、依頼された資料をすぐに用意できたときは、自分の仕事が1Fの復旧に役立っているのだなと誇らしく感じます。
鶴島さん:
1Fでは毎日約6000人もの方々が働いています。そのみなさんが、毎日安全に仕事を進め、無事に仕事を終えて帰るために、私たちが取り扱っている情報が大きな役割を果たしていると考えると、目立たない仕事ですが非常にやりがいを感じています。
鶴島 富二夫(つるしま・ふじお)さん
南相馬市出身。郡山に家族が住んでいるので、週末はもっぱら郡山に向かい一緒の時間を過ごすことを心がけています。
高木 京子(たかぎ・きょうこ)さん
浪江町出身。現在は南相馬市から通勤しています。テレビの連続ドラマが好きなのですが、平日はなかなか見る時間がないので、録画をして休日にまとめて見ています。
上田 裕伯(うえた・ひろのり)さん
南相馬市出身。震災前にはラジコン飛行機が趣味でした。休日には、今でも趣味を続けている仲間のところによく遊びに行っています。
石橋 和也(いしばし・かずや)さん
南相馬市出身。たまにですが、友人たちと集まって裏磐梯あたりでキャンプを楽しんでいます。仙台や郡山で町歩きや食べ歩きもしています。
西岡 雅子(にしおか・まさこ)さん
楢葉町出身。夫が以前からゴルフをやっていて、私も震災後に誘われてゴルフを覚えました。月に1回は妹夫婦とコースに出て楽しんでいます。
復興に欠かせない大切な仕事ですので、これからも使いやすい情報を提供していきます
- プロフィール
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鶴島 富二夫さん
南相馬市出身。郡山に家族が住んでいるので、週末はもっぱら郡山に向かい一緒の時間を過ごすことを心がけています。
高木 京子さん浪江町出身。現在は南相馬市から通勤しています。テレビの連続ドラマが好きなのですが、平日はなかなか見る時間がないので、録画をして休日にまとめて見ています。
上田 裕伯さん南相馬市出身。震災前にはラジコン飛行機が趣味でした。休日には、今でも趣味を続けている仲間のところによく遊びに行っています。
石橋 和也さん南相馬市出身。たまにですが、友人たちと集まって裏磐梯あたりでキャンプを楽しんでいます。仙台や郡山で町歩きや食べ歩きもしています。
西岡 雅子さん楢葉町出身。夫が以前からゴルフをやっていて、私も震災後に誘われてゴルフを覚えました。月に1回は妹夫婦とコースに出て楽しんでいます。
- お勤め先
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東京レコードマネジメント株式会社
1987年設立。情報や記録を管理する専門会社として、一般企業の図面管理や文書管理のコンサルティングなど、様々な業務を行う。