2017年7月18日
- 板谷 崇志さん
- 太平電業株式会社
福島事業所 工程管理責任者
- 梅田 均さん
- 株式会社田中計装工業
- 作山 学さん
- 株式会社三輝
- 斗沢 仁さん
- 有限会社タック
- 齋藤 信一さん
- 東京動力株式会社
原子力発電所では、核分裂によって発生したエネルギーを使い、水を熱して水蒸気にします。そして、その力でタービン(羽車)をまわして電気を作るという仕組みです。その後、水蒸気は復水器という装置で冷やして水に戻しますが、震災後の1Fでは、この復水器の中に高い放射能で汚染された水が閉じ込められていました。今回ご紹介するのは、2号機と3号機の復水器から、その水(滞留水)を取り出すという難しい作業をやり遂げたみなさんです。
放射線量が高い仕事場だったので
作業は慎重に進めた
みなさんは、どのように仕事を分担したのですか。
板谷さん:
1~3号機原子炉建屋にある復水器のうち、私たちが水抜きを担当したのは2号機と3号機です。そのなかで私は工事計画や管理の仕事をしました。2017年2月後半から準備をはじめ、実際の工事を始めたのは4月1日からです。2号機は5月に、3号機は6月上旬に主な作業が終わりました。
梅田さん:
私は、先にとりかかった2号機の水を移す準備作業をしていました。ただ、放射線量が高い場所で作業をしていたため、1年間に浴びてもよい最大値に近くなったので、その後は放射線量の低い別の現場に移って仕事を続けています。
作山さん:
私の会社は電気工事が主な仕事で、現場ではおおもとの電源工事をしたり、監視カメラや照明関係の設置などをしていました。また、流量計や水位レベル計のような装置を、加工場で試験、確認をする仕事もしていました。
斗沢さん:
まず、復水器から取り出した滞留水を、ほかの場所に運ぶための移送ホースを据え付ける仕事をしました。次に、実際の設備を作り、最後に移送作業に取り組みました。
齋藤さん:
私は3月になってからチームに加わり、3号機復水器の滞留水移送から作業を始めました。私の仕事は、水が問題なく移送されているかどうかを監視して放射線量を測定することでした。
どのような点が難しかったのでしょうか。
板谷さん:
仕事の内容自体は、これまでやってきた工事とは大きく変わりません。ただ、今回の滞留水は、それまで扱っていたものよりも、かなり放射線量が高かったので、とくに慎重に進めなくてはなりませんでした。建屋の地階にたまった滞留水を汲み上げるには、2階から汲み上げポンプを下ろさなくてはなりませんが、建屋の中にはさまざまな障害物があるので、そうしたものにぶつからないように、カメラの映像を見ながら隙間をぬって下ろしていくのが難しい作業でしたね。
作山さん:
滞留水を移す先は、建屋から何百mも離れています。ホースの中を通すとはいえ、汚染水を流すのですから周辺の線量は高まりますし、何よりも水漏れがあってはいけません。全部で32台の監視カメラを設置して、慎重に工事を進めました。
齋藤さん:
私はこの業界に入って30年になりますが、実は放射線を測るという作業はこれが初めてでした。取り扱ったことのない機械だったので、これに慣れるまでが大変でした。
3ウェイコミュニケーションで
安全性、確実性を高める
線量が高い場所での仕事は大変だったと思いますが。
梅田さん:
作業員の被ばく線量が増えてチームから外れてしまうと、その後の作業の調整が大変です。新しい人が交代で入るにしても、またそこで一から説明をしなくてはなりません。そういうことのないように、作業員全員が均等になるように工夫しました。本人のためにも作業全体にとっても、線量の管理は重要なことでした。
斗沢さん:
移送のための設備やバルブなどを取り付けるときは、被ばく線量を少なくするために、なるべく現場での作業時間が短くなるように工夫しました。そのために、太平電業の加工場でできる限り組み立てておいて、現場ではそれを据え付けるだけにしたのです。とはいえ、なかには、重すぎたり大きすぎたりして現場にそのまま持ち込めない装置もありました。そうした装置は、現場で組み立てなくてはいけないので、時間のやりくりが大変でしたね。
それ以外にはどういう工夫がありましたか。
板谷さん:
2号機と3号機をくらべると、3号機は水素爆発が起きたために、建屋内部にがれきがかなり残っています。それが放射線量を高くする原因でもあり、通路に障害物が多い原因ともなっていました。それにくらべて、2号機は歩きやすかったので、まず2号機で慣れてもらってから次に3号機にとりかかり、照明を取り付けたり、段差をなくすなどの安全対策をしっかりとるようにしました。
梅田さん:
線量の高い現場では全面マスクをつけるので、現場では会話が聞き取りにくいという問題があります。そこで、作業前には「伝達・復唱・確認」という「3ウェイコミュニケーション」を確実にすることを心がけました。責任者や班長が「伝達」したことを、作業員さんに「復唱」してもらうだけでなく、その内容を責任者や班長が改めて「確認」するという手順を加えることで安全性と確実性を高めるためのものです。
震災前から世話になった1Fで
少しでも力になりたい
今も1Fで仕事を続けるのはなぜですか。
板谷さん:
私は20年近く前に入社して以来、ずっと1Fで仕事をしていました。震災後は北海道の実家に帰っていたのですが、本社から「1Fに戻るように」という連絡が入りました。確かに、1Fのことをよく知った人間でないと、あのような大きな事故のあとの処理はできないでしょうね。今でも、「廃炉や復興に役に立ちたい」という気持ちは変わりません。当初は1週間だけと言われたのですが、結局、今まで6年もここで働き続けています。
齋藤さん:
私も、震災前から1Fはずっと世話になってきた現場なので、離れられないという気持ちがあります。震災後に大熊町の自宅から避難していましたが、2011年3月末には1Fに戻ってきました。家族は心配しましたが、地元だから少しでも力になりたいという気持ちはありました。
1Fはみなさんにとってどういう職場なのでしょうか。
斗沢さん:
1Fに来る前は、日本原燃のある青森県六ヶ所村で仕事をしていました。ところが、震災以降、原子力発電所関係の仕事がなかなか進みません。そこで廃炉の仕事がある1Fに来たのです。正直なところ、六ヶ所村では機器の保守管理や足場づくりといった決まりきった仕事をしていただけでしたが、1Fではさまざまな仕事ができるので勉強になります。
作山さん:
私が1Fに来たのは2014年5月になってからなので、テレビで見て想像していたよりも、ずいぶんきれいだなという印象を持ちました。それから今日まで3年が過ぎて、さらに整備が進んだという印象です。私も、電気の仕事がないときは、ほかの仕事を手伝っています。一つのことだけをするのではなく、さまざまな未経験の仕事をやってみると、いろいろと発見があっておもしろいですね。わからないことはたくさんありますが、周りの先輩方がていねいに教えてくれます。
休みの日はどんなことをしていますか。
齋藤さん:
湯本のアパートで、たしなむ程度にお酒を飲むことくらいでしょうか。1年前までは避難先の会津若松から通っていましたから、仕事が終わって家に帰るとへとへと。休日もただゆっくりと休みたいと思うだけで、残念ながら震災後は趣味もなくなってしまいました。
作山さん:
3人の子育ても大変な時期が過ぎて、今は家族で旅行するのが趣味です。今年の5月の連休は房総半島に行ってきましたし、去年は新潟に行ってきました。旅行を楽しみに、頑張って働いているといったところです。
板谷さん:
車が趣味で、震災前は月に1回は二本松や宮城県にあるサーキットで走っていました。今は、年に2、3回とペースが落ちてしまいましたが続けています。
板谷 崇志さん
北海道出身。入社と同時に1Fに配属され、震災前はポンプなどの点検が主な仕事だった。震災直後に1Fに戻り、安定化工事から廃炉に向けてさまざまな仕事に携わってきた。
梅田 均さん
大熊町出身で現在はいわき市内に住んでいる。趣味は釣り。3連休がとれれば家族でキャンプに出かけるのが楽しみ。
作山 学さん
生まれも育ちもいわき市内。2014年5月に1Fに来る前は、全国各地の浄水場、下水処理場、火力発電所などで電気関係の仕事をしてきた。
斗沢 仁さん
青森県出身。現在は楢葉町の寮に住んでいる。1Fに来たのは2013年1月から。それまでは、青森県六ヶ所村、茨城県東海村、千葉県などの原子力発電所関係の施設で仕事をしていた。
齋藤 信一さん
大熊町出身。現在は湯本のアパートに住んでいる。1Fを中心に原子力発電所で働いて30年になる。震災まではポンプの点検や回転機器の保守管理などが主な業務だった。
廃炉作業で何よりも大切なのは安全です。毎日、元気な顔でただいまと言えるように、安全第一に作業を進めていきましょう。
- プロフィール
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板谷 崇志さん
北海道出身。入社と同時に1Fに配属され、震災前はポンプなどの点検が主な仕事だった。震災直後に1Fに戻り、安定化工事から廃炉に向けてさまざまな仕事に携わってきた。
梅田 均さん大熊町出身で現在はいわき市内に住んでいる。趣味は釣り。3連休がとれれば家族でキャンプに出かけるのが楽しみ。
作山 学さん生まれも育ちもいわき市内。2014年5月に1Fに来る前は、全国各地の浄水場、下水処理場、火力発電所などで電気関係の仕事をしてきた。
斗沢 仁さん青森県出身。現在は楢葉町の寮に住んでいる。1Fに来たのは2013年1月から。それまでは、青森県六ヶ所村、茨城県東海村、千葉県などの原子力発電所関係の施設で仕事をしていた。
齋藤 信一さん大熊町出身。現在は湯本のアパートに住んでいる。1Fを中心に原子力発電所で働いて30年になる。震災まではポンプの点検や回転機器の保守管理などが主な業務だった。
- お仕事内容
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2、3号機の主復水器内滞留水移送業務
太平電業とその協力会社が、2、3号機の復水器にたまった汚染水を取り出すために構成したチーム。もっとも忙しいときには20人以上のメンバーがいたが、2号機は5月に、3号機は6月に主な作業が終わった。