2017年8月14日
- 長嶋 淳一郎さん
- 株式会社熊谷組
熊谷組・東起業 敷地造成工事共同企業体
1F敷地造成JV作業所 所長(現場代理人)
- 山本 正勝さん
- 株式会社栄建設
- 鈴木 義久さん
- 株式会社カナエ
- 高松 典昭さん
- 共栄機械工事株式会社
- 鈴木 毅彦さん
- 株式会社前田工務店
- 帯刀 孝一さん
- 株式会社山田工務店
1Fの第二土捨場南側では、廃棄物処理に関連する施設を建てるための土木工事が進められています。2016年5月30日に本格的な工事が始まり、構外での工事はすでに完了して、現在は1F構内での敷地の造成工事が進行中です。今回は、その工事に関わる熊谷組と協力会社の方々にお話をうかがいました。
放射線量が下がってきたので
普通の作業着で作業ができるようになりました
共同企業体の中ではお仕事をどう分担しているのですか。
長嶋さん:
私は、敷地造成にあたって、作業所の所長としてみなさんをまとめる立場です。協力会社はここにいらっしゃる5社を含めて7社。共同企業体の職員を含めて全部で約50人が働いています。2017年3月いっぱいで1F構外の工事が完了しました。現在は構内の造成工事とそれにともなう排水工事が進んでいます。
山本さん:
排水関係の仕事を中心に担当しています。1Fには2011年4月に排水工事で来たのが最初で、それ以後は水まわりの工事や土のう作成など、さまざまな工事をやってきました。
鈴木(義)さん:
私たちの会社が担当しているのは、造成した土地のまわりの斜面を緑化して、斜面が崩れないように地盤を固める工事です。
高松さん:
私の会社では大型重機10台を使って、土砂の運搬や斜面の形を整える工事をしています。最近では、汚染された表面の土を削り取ったために放射線量が下がり、一般の土木工事と同じように普通の作業着でも作業ができるようになりました。
鈴木(毅)さん:
鈴木義久さんの会社と同じく、斜面の緑化工事をしています。素早くきちんと仕上げないと、高松さんたちがきれいにしてくれた土地が雨で崩れてしまいます。水の力は意外に大きいものだと感じますね。
帯刀さん:
私はこのなかで一番年下で、1Fに来たのも2015年になってからです。排水工事、沈殿池工事など、山本さんの会社と同じような仕事を担当しています。
1Fの近くに住む地元の人たちのために
なんとか力になりたいと思った
昔から1Fにいらっしゃった方が多いと聞いていますが、1Fはどう変わりましたか。
高松さん:
私が最初に造成工事で1Fに入ったのは、山本さんより5カ月後の2011年9月です。毎年毎年、目に見えて放射線量が下がっていきましたね。1年目は草むらを歩いただけでAPD(被ばく線量計)の警報音が鳴ったものですが、今では音を聞くこともなくなりました。もちろん装備も軽くなって作業が楽になりました。
山本さん:
APDの警報音は1日に3、4回聞くことがありましたね。でも、そんな環境を自分たちがなんとかしなくてはという使命感もありました。また、放射線量の高いところで作業する時間を少なくするため、機材を作るときは構外でなるべく完成させておいて、構内では組み立てて据え付けるだけにするという工夫もしました。
鈴木(毅)さん:
私の会社が1Fで仕事を始めたのは2011年6月からで、私自身は8月から入りました。当時とくらべると、構内の様子はずいぶん変わりました。木が切られたことで、海がよく見えるようになりました。もちろん、放射線量が低くなったのはいいことですが、木が切られたために野鳥がいなくなったり、タンクや駐車場建設のためにサッカー場などがなくなったのは少し寂しいですね。
長嶋さん:
震災直後は緊急工事として、当日になってから依頼される仕事もよくあって、対応するのが大変でした。もちろん今は状況が落ち着いたので、どんな仕事も前もって計画的に作業ができるようになりました。
初めて1Fに来る前に気にしていたことはありますか。
帯刀さん:
私が来た2015年には状況がかなりよくなっていましたが、それでも放射線に対する知識がなかったので、来る前には正直なところ心配はありました。もちろん、きちんと教えてもらったことで今では不安はありません。
鈴木(毅)さん:
私たちは、建屋本体に入って仕事をするわけではないので、それほど神経質にはなりませんでしたが、それでも1Fに来るまでは放射線に対する知識がなかったものですから、やはり不安はありました。1Fで作業を始めたころ、「それに触っちゃダメ!」などと言われることがよくあったのですが、なにしろ目に見えないものですから、どんな影響があるのかもわからず、しばらくはピンときませんでした。
自分たちだけにしかできない仕事を任されて
やりがいを感じてきた
1Fで仕事をすることに対して、やりがいを感じますか。
鈴木(義)さん:
こういう職場で、地元のために少しでも役に立っていることがやりがいですね。私はいわき市内の出身で、震災直後にテレビで1Fの大変な様子を見て、なんとか力になれないものかと思っていました。そういう思いの中で私が最初に担当したのは防護柵(フェンス)の工事です。管理区域を守るための防護柵が津波で壊れてしまったので、それを作り直す工事なのですが、これが復興への第一歩だと思って仕事をしました。
山本さん:
2011年に1Fに来てから、ほかの人ができない急ぎの仕事を任されたことにやりがいを感じてきました。排水溝から水が溢れそうだというのでポンプ車を持っていったり、再び大津波が来たときに備えて大型の土のうを作ってほしいという依頼に対応したりと、1Fのためにさまざまな仕事をしてきました。
ほかの現場とくらべて安全のために力を入れた点はどういうところですか。
帯刀さん:
やはり装備が大変でしたね。私たちが工事をする場所でも放射線量が高いところがあって、少し前までは白い防護服(タイベック)に全面マスクをして作業をしていました。最初のうちは慣れていなかったので、靴下やゴム手袋を2枚重ねにするべきところを、1枚しか着けずに出発して、管理区域に入る直前に気がついて戻るといった失敗もありました。
鈴木(毅)さん:
初めて全面マスクを付けて現場で動いたときには、汗とよだれがマスクの内部にたまるのには参りました。現場でマスクを取るわけにはいきませんから、免震棟に戻って初めて拭くことができてほっとしたというのも、今では懐かしい思い出です。
長嶋さん:
何よりも、ここまで無災害でやってこれたのは幸いです。そのためには、日々の打ち合わせが大切ですね。安全については、みんなの目で危険と感じたものを是正しましょうという運動をしていまして、各社の安全意識もずいぶん高くなりました。また、月に1回、共同企業体全体のコミュニケーションをとるために、毎月1日に相馬小高神社で安全祈願をしてお神酒をいただき、それをみんなで分けるという「お神酒おろし」をやっています。こうした行事も、無災害につながっているのだと思います。
ところで、休日はどんなことをしていますか。
長嶋さん:
山形県にある自宅まで車で3時間くらいなので、なるべく帰るようにしています。地元では町内の役員をしているので週末はその会合に出たり、中学生と小学生の子どもの部活動の手伝いとして、野球の審判や車での送迎をしたりしています。
山本さん:
私は広野町にある熊谷組の寮に住んでいますが、休日はもっぱらゴロゴロしていることが多く、パソコンの前でゲームをしながら、お酒をほどほどに飲むのがささやかな楽しみです。
長嶋 淳一郎さん
山形県南陽市出身。震災前は青森県東通村の原子力発電所で造成工事をしていましたが、放射線管理の知識があるということで、震災1カ月後の4月に1Fに来ました。
山本 正勝さん
北海道出身。2011年4月30日に排水工事で1Fに来て以来、途中で1年半首都圏で勤務したのちに、再び1Fに舞い戻ってきました。広野町にある熊谷組の寮に住んでいます。
鈴木 義久さん
いわき市湯本出身。1Fに来たのは2012年初めから。最近になって子どもが生まれたので、休日に遊びに連れて出たり、子ども用品を買いに行くのが楽しみです。
高松 典昭さん
北海道出身で自宅は千葉県。いわき市の平に、チームのメンバーと4人で古い一軒家を借りて共同生活をしています。部屋は6つもあるので、お互いプライベートを大事にできます。
鈴木 毅彦さん
山形県南陽市出身で、自宅は東京です。1Fに来たのは2011年8月。山本さんと同じく、広野町にある熊谷組の宿舎にいます。月に1、2回のゴルフが楽しみですね。
帯刀 孝一さん
山形県鶴岡市出身。今住んでいる広野町の宿舎は、もともと温泉旅館だった建物です。2017年4月に5番目の子が生まれました。
造成工事は重機を使う仕事ですから、現場では綿密な打ち合わせが大切です。工期に間に合わせることはもちろんですが、何よりも安全を第一にして仲間で力を合わせてがんばりましょう
- プロフィール
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長嶋 淳一郎さん
山形県南陽市出身。震災前は青森県東通村の原子力発電所で造成工事をしていましたが、放射線管理の知識があるということで、震災1カ月後の4月に1Fに来ました。
山本 正勝さん北海道出身。2011年4月30日に排水工事で1Fに来て以来、途中で1年半首都圏で勤務したのちに、再び1Fに舞い戻ってきました。広野町にある熊谷組の寮に住んでいます。
鈴木 義久さんいわき市湯本出身。1Fに来たのは2012年初めから。最近になって子どもが生まれたので、休日に遊びに連れて出たり、子ども用品を買いに行くのが楽しみです。
高松 典昭さん北海道出身で自宅は千葉県。いわき市の平に、チームのメンバーと4人で古い一軒家を借りて共同生活をしています。部屋は6つもあるので、お互いプライベートを大事にできます。
鈴木 毅彦さん山形県南陽市出身で、自宅は東京です。1Fに来たのは2011年8月。山本さんと同じく、広野町にある熊谷組の宿舎にいます。月に1、2回のゴルフが楽しみですね。
帯刀 孝一さん山形県鶴岡市出身。今住んでいる広野町の宿舎は、もともと温泉旅館だった建物です。2017年4月に5番目の子が生まれました。
- お仕事内容
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第二土捨場南側敷地造成工事
熊谷組を中心としてつくられた共同企業体で工事を実施。2016年5月30日に工事が本格的に始まり、現在は1F構内で土地の整備や排水工事などの工事が進行中。