2017年11月9日
- 海辺 康博さん
- 株式会社報徳バス
- 長谷川 弘之さん
- 株式会社報徳バス
- 矢萩 栄司さん
- 株式会社報徳バス
- 伊藤 重人さん
- 株式会社報徳バス
1Fの構内・構外で多くの作業員の方々がバスを利用しており、決まった時刻にバスが運行することで、予定通りに作業を進めることができます。バスの運転手の方々もまた、廃炉工事を進める大切なメンバーです。今回は、バスの運行・運転に携わっている報徳バスのみなさんにお話をうかがいました。
地元に役立つ仕事をしたいと考えていた
お仕事の内容を教えてください。
海辺さん:
1F構内でシャトルバスを運転するほかに、視察や見学で1Fにいらっしゃる関係者やお客様のためのバスも運転しています。私が入社したのは震災後の2011年9月ですが、そのときはまだ1Fに入れなかったので、いわき、湯本、2Fなどを結ぶバスの運転をしていました。現在は11人が交代で勤務しています。
長谷川さん:
報徳バスは、いわきタクシーのグループ会社で、震災前まで私はタクシーの運転手をしていました。震災後の2011年6月からは、帰還困難区域へ一時立ち入りする地元の方を運ぶ仕事をしたり、立ち入りのための受付をどこに置くか、どの道を通るか、立ち入りの条件をどうするかなどを、関係者の方々と話し合って決める仕事もしました。人員が足りないときには、バスの運転もしていました。
どういったきっかけでこの仕事を始められたのですか。
矢萩さん:
私は震災の1年後に入社して、ずっと構外バスの運転をしていましたが、2015年7月から構内バスの運転を始めました。水産会社を辞めた後、これからは地元の復興に少しでも役立てるような仕事に就きたいなと思っていたときに、運転手の募集があったのです。以前から大型免許は持っていましたが、そのときに大型二種免許もとりました。
伊藤さん:
私は、運送会社に勤めていてタンクローリーやトラックの運転手をしていましたが、いわき市民、福島県民として、少しでも廃炉や復興に力になれる仕事はなんだろうと考えていたところ、たまたまこちらの会社でバスの運転手を募集していることを知りました。その後運送会社を辞めて、2014年から構内バスの運転をしています。
海辺さん:
震災前は、いわき市内の自動車学校の教官をしていました。震災直後は群馬県に一時避難したこともあって、地元に戻って何かできないのかと、ずっと悩んでいました。自動車学校が再開されて戻ってからは、2トントラックを運転して、がれきを集積所に運ぶボランティアをしたこともあります。そんなとき、一時帰宅する方を運ぶためのバス運転手を募集しているという話を聞きました。自動車学校の教官を天職だと思っていたので迷いましたが、思い切って退職して、その次の日からバスの運転を始めたのです。
長谷川さん
事故以来、避難されている方のお手伝いをしていたので、社長から「1Fで仕事をしないか」と言われたときには喜んで行こうと思いました。あと何年勤められるかわかりませんが、廃炉まで見届けるのは無理にしても、その道筋が見えてくるまで力になりたいと思っています。
時間の余裕を持って仕事場に来ることで体調もよく気分も安定する
この仕事で気をつけている点や工夫している点はありますか。
海辺さん:
放射線管理ももちろん大切ですが、何よりもトイレが大きな問題です。仕事のシフトやバスの時刻がはっきりと決められていますから、途中で席をはずしてトイレに行くわけにはいきません。もし、トイレに行って時間をとってしまうと、現場に向かうお客様を時間通りに運べなくなってしまい、一時的にせよ工事がストップしてしまうかもしれません。そんなことのないよう、体調管理は欠かせません。
夏になると熱中症を防ぐために水をとらなくてはいけませんが、水分をとりすぎてトイレに行きたくなっても大変です。仕事に行く前には、利尿作用があるコーヒーを飲まないようにして、水分は必要最小限だけとるようにしています。
長谷川さん:
やはり、体調管理が大切です。とくに睡眠時間には気を使っていて、少なくとも6、7時間はとるようにしています。翌日体調を崩してしまうと、代わりの人がいないので、みんなに迷惑がかかってしまいます。
また、余裕をもって仕事にかかるために、朝は定刻よりも30分ほど早めに仕事場に来ます。そして、たばこで一服して水を飲み、トイレに行き、毎日ほとんど同じ時間に構内に入ります。日々同じことをすると気分が安定するのがいいですね。
この仕事をしていてよかったなと思うのは、どういうときですか。
矢萩さん:
お客様がバスに乗るとき、私が「おはようございます」と声をかけると、みなさん「おはようございます!」と元気で大きな声が返ってくるのがうれしいですね。お互いに元気をやりとりしているような気分になり、「今日も一日いい仕事ができそうだ」と感じます。
伊藤さん:
仕事帰りにバスに乗るみなさんの表情を見ているのが楽しいですね。行くときとはずいぶん表情が違います。「今日も一日無事に仕事が終わった」という気持ちだと思いますが、にこやかな表情で乗ってこられます。自然と私の方も、「お疲れさまでした」と声が出てきます。
海辺さん:
1F構内でも、以前勤めていた自動車学校の教え子に会うのが楽しいですね。もう、5、6人ほど会いました。あるときは、防護服と全面マスクをした人から「先生、ここで何をやっているんですか?」と声をかけられましたが、さすがに誰だかわからずにお互いに大笑いをしました。
構内にいると、知り合いでない方からもよく声をかけられるのは、ドライバーをしていて顔を覚えていてくださっているからでしょう。この仕事をしてよかったなと思う瞬間です。
時刻通りにバスを走らせることが何よりも大切
この仕事の難しい点は?
海辺さん:
決まった休みがないことですね。視察や見学の予定がいくつも入る日もあれば、まったくない日もあります。急な予定が入ったときは、11人いるドライバーの中でなんとかやりくりしなくてはなりません。また、構内のバスはゆっくり走るので距離は短いのですが、連続して運転をするので休憩時間をとれないのが大変です。
食事も難しい問題です。仕事のシフトによっては、休憩時間に構内の食堂が営業していないこともあります。コンビニで食べ物を買うにしても、食べる場所がないというのが悩みです。
長谷川さん:
シャトルバスの場合、1回遅れると取り返すのが大変なことですね。休憩時間を削っても、次の仕事に間に合わなくなってしまいます。もちろん、作業員の方々の入退管理に時間がかかり、遅くなることがあるのはわかっています。ですから、いらいらしてはいけないと思っているのですが、つい態度に出て、みなさんに不快な思いをさせたことがあるかもしれません。この場を借りておわびをしたいと思います。
ところで、休日はどんなことをしていますか。
矢萩さん:
私は車の運転が好きなので、休みの日にはよくドライブに出かけます。好きな音楽をかけて車に乗っているのが、私のストレス解消法です。
長谷川さん:
私は体を動かすのが好きで、ゴルフ、バドミントン、バレーボールなど、休日はいろいろなスポーツをして楽しんでいます。自宅にもトレーニング用の機械を買って体を鍛えているのですが、以前やりすぎて骨折をしたことがあるので、今は無理をしないように続けています。
海辺 康博さん
生まれも育ちもいわき市。以前の仕事である自動車学校の教官が「天職」とは思っているが、現在の仕事は自分に与えられた「使命」だと感じている。
長谷川 弘之さん
自宅は、いわき市四ツ倉。震災前からタクシーの運転手として地元で仕事をしてきた。震災直後は、避難する人たちを東京まで乗せていったことがある。
矢萩 栄司さん
いわき市の泉駅近くの渡辺町に自宅と畑がある。今年は畑でかぼちゃを植えた。震災前に一緒に住んでいた子どもと孫11人は避難をして、一人だけがいわきに残った。
伊藤 重人さん
いわき市内在住。以前勤めていた運送会社では、仕事の都合で日本のあちこちに行っていた。休みの日には、家に来る孫と遊ぶのが楽しみ。
ここで働く人たちはみな家族と同じ。朝も晩もあいさつを交わすことで力を分かち合い、今後も和気あいあいと仕事ができるよう頑張っていきましょう。
- プロフィール
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海辺 康博さん
生まれも育ちもいわき市。以前の仕事である自動車学校の教官が「天職」とは思っているが、現在の仕事は自分に与えられた「使命」だと感じている。
長谷川 弘之さん自宅は、いわき市四ツ倉。震災前からタクシーの運転手として地元で仕事をしてきた。震災直後は、避難する人たちを東京まで乗せていったことがある。
矢萩 栄司さんいわき市の泉駅近くの渡辺町に自宅と畑がある。今年は畑でかぼちゃを植えた。震災前に一緒に住んでいた子どもと孫11人は避難をして、一人だけがいわきに残った。
伊藤 重人さんいわき市内在住。以前勤めていた運送会社では、仕事の都合で日本のあちこちに行っていた。休みの日には、家に来る孫と遊ぶのが楽しみ。
- お勤め先
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株式会社報徳バス
1963年創業。いわきタクシーグループの貸切バス部門。いわき市・郡山市のタクシー部門、いわき市・郡山市・さいたま市の貸切バス部門などがある。観光旅行、施設見学、空港送迎などに、大型バスからマイクロバスまでさまざまな車両を用意して対応している。