2018年1月15日
- 梅田 義弘さん
- 株式会社 倉伸
取締役事業部長
- 渡部 幸雄さん
- 株式会社 倉伸
- 永井 正彦さん
- 株式会社 倉伸
福島事業所 福島第一作業所長
- 岡本 実さん
- 株式会社 倉伸
- 三塚 司さん
- 株式会社 倉伸
福島事業所 課長
- 鈴木 正郎さん
- 株式会社 倉伸
震災前、5号機と6号機原子炉建屋近くの車両を通すために開け閉めするゲート(門)は電動でした。震災以後は手動で操作していましたが、それを再び電気で動かすための工事が2017年3月に始まり、10月末に完了しています。今回は、その工事を担当した倉伸のみなさんにお話をうかがいました。
震災で中断してしまった工事を
自分たちの手で完成できた
みなさんの仕事の担当を教えてください。
梅田さん:
安全な作業を目指して、全体を統括したり、毎日のKY点検をするのが私の仕事です。
渡部さん:
私は現場の作業を担当しています。この工事は、以前あったゲートを取り外して、新しいゲートを設置するのですが、主にその準備段階の作業を行いました。
永井さん:
私は現場代理人ということで、工事の計画書作成などをしています。
岡本さん:
工事担当です。現場で班長や作業員と打ち合わせをしながら、一緒に作業をしていくのが私の仕事です。
三塚さん:
私は現場の作業班長として、もとのゲートの基礎部分の取り壊しをしたり、新しいゲートの設置作業をしたりしました。
鈴木さん:
工事中は片側一車線の道路を交互通行にしなくてはなりません。私はそこを通る車両に対して、交通誘導をするのが仕事でした。
震災直前にも同じような工事をしていたとうかがいました。
梅田さん:
私たち倉伸は、以前あった電動のゲートを新しくする工事を請け負い、2011年3月31日に竣工する予定でした。ところが、完成間近だった3月11日に東日本大震災が起きてしまい、港の物揚場に置かれていた新しいゲートや電動機(モーター)も水に浸かって使えなくなってしまいました。それ以後、ずっとゲートの開け閉めは手動で行っていたのです。今回、再びゲート電動化工事に携わることができ、私たちの手で完成できたのは本当に喜ばしいと感じています。
頑丈なコンクリートの基礎を
夏場に人力で壊すのは大変だった
お仕事で難しかった点はありますか。
永井さん:
当初は、震災前につくったコンクリートの基礎とレールをそのまま利用する予定でしたが、高さを測ってみると地震の影響で変形していることがわかりました。そこで、関係する部署と打ち合わせをして、最終的に基礎からつくり変えることになったのです。工期が延長になって工事のやり方も変わるので、短い期間で計画書を書き直さなくてはなりませんでした。
また、放射性物質が広がることを防ぐため、1Fのルールに従って、工事中はゲートの代わりに仮設のフェンスをつくる必要があります。同時に、フェンスには人が通れる扉を付ける工事も必要です。1Fならではの難しさがありました。
渡部さん:
工事のためにいろいろな機材を使うのですが、場所が狭いので制約が多く、気を使いました。そして、何よりも、震災前につくった基礎のコンクリートが頑丈だったので、それを取り壊すのは大変でした。
鈴木さん:
このあたりは交通量が多く、とくに朝昼晩と大型バスがこのゲートを通っていくので、事故が起きないように集中しました。また、防護服を着た上に、安全のために蛍光色のチョッキを着なくてはならないので、夏はひどく暑くなるので参りました。それでも、運転手のみなさんの協力があって、事故もなく工事が終わってほっとしています。
頑丈につくられた基礎を取り壊すのは大変でしたね。
岡本さん:
コンクリートを壊す斫り作業は、機械で進めていく予定でしたが、機械に不具合が見つかったため、修理をしている間は人力で行うことになったのです。ちょうど夏場の暑い時期で、防護服を着たまま人力で作業するのは本当に大変でした。
三塚さん:
クラッシャーという機械を交代で使うのですが、この作業は疲れました。熱中症になってはいけないのですが、休憩所まで戻るわけにはいきません。ルールにのっとって、車のエンジンをかけたまま冷房をかけ、防護服のまま交代で涼むようにしました。
今も工事現場を通りかかるたびに
当時の仕事の様子を思い出す
どんなときに仕事のやりがいを感じましたか。
永井さん:
事故なく計画どおりに工事が終わったときは、充実感がありました。また、工事完了の検査が終わり、担当の方がにっこりと笑顔になったのを見たときは、うれしかったですね。すでにほとんどの方は、次の現場に移っていましたが、私は最後の最後まで見届けられたことにやりがいを感じました。
渡部さん:
今も、ときどきこの場所を通ることがありますが、ゲートがきちんと動いているのを見ると、この仕事を自分たちがやったんだなと、しみじみと感じます。
無事に工事を終えることができた秘訣はどこにありますか。
永井さん:
当たり前のことですが、ルールに従ってきちんと作業をしたことだと思います。とくに夏場は体調管理に気をつけるよう、みなさんにお願いしました。現場では暑さ指数(WBGT)がわかるようにして、25度以上になったら作業時間を短くして休憩をしっかりとる。そして、途中で作業を止めても大丈夫なように工程を組むという工夫もしました。また、トイレに行きたくなったら我慢をせず、気分が少しでも悪くなったら休むようにしました。
岡本さん:
社内は、和気あいあいとした雰囲気があり、それが無事故の秘訣だと私は思います。誰かが具合悪くなって休憩をとったら、周囲が「うまいことやったな」と冗談を言って笑えるような仲間です。周囲が頑張っているのを見ると、無理をしてしまいがちですからね。
ところで、休みの日はどんなことをしていますか。
渡部さん:
私は走るのが好きで、休日は60分から90分ほどランニングをしています。走ることは、仕事のストレス解消にもってこいです。2017年2月には、日本陸連公認のいわきサンシャインマラソンに参加して、フルマラソンを走ってきました。ぜひ、2018年も走りたいと思っています。
梅田さん:
私はゴルフが趣味なのですが、最近は仕事がら営業や打ち合わせなどで飲む機会が多く、また出張で東京や郡山に行ったりすることも多いので、休日は家でのんびりと休んでいます。
梅田 義弘さん
富岡町出身。初めて1Fに来たのは、1990年ごろ。使用済み共用プール調査用トンネルのトロッコ用レール据え付け工事などが印象に残っている。
渡部 幸雄さん
実家は猪苗代町にあり、現住所はいわき市内。2015年1月から1Fで働いている。ランニングが趣味だが、自転車で走るのも好き。
永井 正彦さん
札幌市出身、現在は富岡町の寮に住んでいる。初めて1Fに来たのは、震災直後の2011年6月。趣味はゴルフ。晩酌が楽しみで、最近はシングルモルト・スコッチウイスキーにはまっている。
岡本 実さん
敦賀市出身で、現在は富岡町の寮に住んでいる。1Fに初めて来たのは2013年。週末はのんびりとテレビを見ている。ビールも好きだが、最近は缶チューハイをよく飲んでいる。
三塚 司さん
仙台市に自宅があり、現在は富岡町の寮に住んでいる。1Fには2012年12月ごろから。冬になると、よく仙台の自宅から近い山形蔵王でスノーボードを楽しんでいる。
鈴木 正郎さん
いわき市の北部にある久ノ浜の自宅から通っている。1Fに来たのは2014年7月。月に1回、娘さんや3人の孫たちと食事に行くのが楽しみ。
地元の企業として、復興に向けて努力していきます。みなさん力を合わせて廃炉に向けて頑張りましょう。
- プロフィール
- 梅田 義弘さん
富岡町出身。初めて1Fに来たのは、1990年ごろ。使用済み共用プール調査用トンネルのトロッコ用レール据え付け工事などが印象に残っている。
渡部 幸雄さん実家は猪苗代町にあり、現住所はいわき市内。2015年1月から1Fで働いている。ランニングが趣味だが、自転車で走るのも好き。
永井 正彦さん札幌市出身、現在は富岡町の寮に住んでいる。初めて1Fに来たのは、震災直後の2011年6月。趣味はゴルフ。晩酌が楽しみで、最近はシングルモルト・スコッチウイスキーにはまっている。
岡本 実さん敦賀市出身で、現在は富岡町の寮に住んでいる。1Fに初めて来たのは2013年。週末はのんびりとテレビを見ている。ビールも好きだが、最近は缶チューハイをよく飲んでいる。
三塚 司さん仙台市に自宅があり、現在は富岡町の寮に住んでいる。1Fには2012年12月ごろから。冬になると、よく仙台の自宅から近い山形蔵王でスノーボードを楽しんでいる。
鈴木 正郎さんいわき市の北部にある久ノ浜の自宅から通っている。1Fに来たのは2014年7月。月に1回、娘さんや3人の孫たちと食事に行くのが楽しみ。
- お勤め先
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株式会社 倉伸
土木工事を中心に地元に密着した業務を行っている。津波で流された富岡町の本社は、2017年6月に再建された。1Fでは工事関係の30人を中心に、約60人が働いている。