2018年2月13日
- 荒木 順也さん
- オルガノ株式会社
水インフラ・エネルギー本部 電力事業部 福島事務所
所長
- 後藤 泰記さん
- オルガノ株式会社
水インフラ・エネルギー本部 電力事業部 福島事務所
工事管理(現場代理人)
1Fの1号機から6号機には、硫酸を貯めるタンクと苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を貯めるタンクが1つずつ残されています。スペースを広げ、クレーン作業などの妨げにならないよう、これらを取り除くための調査と作業が進められています。今回ご紹介するのは、その工事を担っているオルガノのみなさんです。
取り残されている硫酸タンクを取り除き
硫酸を1カ所のタンクにまとめることに
どのようなお仕事なのでしょうか。
後藤さん:
今、進めている仕事は、1号機から6号機までの硫酸タンクの中身を、5号機そばに新しく造る硫酸タンクの1カ所に集めるというものです。これによって、それ以外の硫酸タンクを取り除くことができます。私たちは、そのための方法を関係部署と相談しながら考えて、作業の管理をするのが仕事です。
荒木さん:
廃炉作業によって、原子炉の近くにあるタンクは次々に取り除かれていきましたが、硫酸と苛性ソーダは、取り扱いに注意しなくてはなりません。そのため、これまで取り残されてきたのです。今回は、この2つのうち、より注意が必要な硫酸タンクに先に手をつけることになったのです。
津波でタンクに海水が入ったことで
タンクに穴が空く恐れが出てきた
硫酸の入ったタンクをどのように取り除きますか
後藤さん:
はじめは、「中和処理」といって、中和処理装置を設置し薄めたうえで「苛性ソーダ」で中和することを考えましたが、中和処理水の大量発生対応や、長期工事日数で費用がかかり過ぎるなどで難しいと分かりました。
また、硫酸タンクを調べてみると、津波で水に浸かってしまったために、タンクの中に海水が入ったことが分かりました。そのため、タンクの中の硫酸は、もともと95~98パーセントの濃い硫酸だったものが、75パーセントくらいの希硫酸になってしまったのです。
薄まったからといってよいわけではありません。タンクは鉄でできており、もとの濃い硫酸ならば鉄が腐食(溶けたりさびたりする)することはないのですが、薄まって希硫酸になると鉄が腐食してしまうのです。タンクの壁が薄くなって穴が空いたら、そこから硫酸が外に漏れて大変です。
そこで、1~6号機の硫酸タンクについて、タンクの壁が薄くなっていないかを調べました。すると、どれも少しずつ薄くなっている部分があったのですが、特に3号機のタンクが薄くなっていることがわかりました。そこで、まず3号機のタンクの中身を、1号機のタンクに移す作業をしました。これが2015年夏のことです。
残りの硫酸タンクはどうするのですか。
後藤さん:
幸いなことに、残った硫酸をすべて合わせても、25立方メートルくらいだとわかりました。そこで今回、残りの1、2、4、6号機の中に残されている硫酸を、5号機にある既存タンクを撤去し、新しくつくるタンク1つにまとめることにしたのです。
荒木さん:
新しくつくるタンクは、希硫酸を入れても腐食しない素材にしなくてはいけません。そこで、鉄製のタンクの内側を、酸に強いフッ素樹脂(加工)で覆っています。このタンクは、2017年12月から製作しており半年ほどかかる予定です。
防護服の上にさらに耐酸服を着て
夏場に作業をするのは大変だった
これまでの業務で大変なことはありましたか。
後藤さん:
一番大変だったのは、3号機の硫酸タンクの中身を、1号機に移す作業でした。放射線量が高い場所ですから防護服を着るのは当然ですが、硫酸を扱うため、その上に雨合羽の2、3倍の厚さがある耐酸服を着なくてはなりません。また、全面マスクには、さらに耐酸用のフィルターを付けるので、呼吸がしにくくなります。
作業は1カ月程で終わりましたが、暑い季節でしたから、まさに過酷の一言でした。作業をした方々の健康に注意して、健康管理をする専門の人も付けました。作業員の方々には本当に頭が下がる思いです。
どのような工夫をしましたか。
後藤さん:
できるだけ、作業の手間や負担を減らすようにしました。硫酸をタンクから汲み上げるポンプは、据え付け型にすると、つないだり外したりする手間が大変です。そこで、容易に持ち運びできるタイプにすることで、作業する人の負担を減らしました。
熱中症の対策としては、現場の近くに常にエンジンをかけた車を用意して、エアコンで車内を冷やしておきました。装備をつけたままでも、車内で涼むことができるようにしたのです。
震災後には電力確保のため
東北地方の火力発電所をかけまわった
お二人はいつから1Fで仕事をしているのですか。
後藤さん:
私は、1986年から1Fで働いています。震災が起きたときは、1号機タービン建屋近くの足場の上にいて、苛性ソーダを抜き取る準備作業に立ち会っていました。すぐに足場から降りて、近くの車にしがみついたのですが、車ごと激しく揺れるので、地面に手をついて揺れが収まるのを待つしかありませんでした。
構内には私たちの事務所があり、女性スタッフが一人残っていました。その方の机の真後ろにロッカーがあったのですが、揺れを感じて部屋を出た直後に、そのロッカーが倒れてきたそうです。まさに間一髪でした。
荒木さん:
私は、2016年5月から1Fで仕事をしています。それまでは、東京で装置の点検や修理などの仕事を中心に行っていました。震災が起きたときは八戸火力発電所におり、その後、1Fが使えなくなった代わりの電力確保のため、震災でストップした東北地方の6つの火力発電所の復旧作業をお手伝いしました。
発電所の復旧作業には、私たちの会社の業務である水処理が欠かせません。そこで、経験のある社員が、あちこちの火力発電所に分かれて復旧に携わったのです。
この仕事のどこにやりがいを感じますか。
荒木さん:
実は、1Fで自分の力が通用するのかということに最初は不安を持っていました。普段の点検作業ならば、やることが前もってはっきりしているのですが、1Fでは次の日に何をするのか確定できないことがあります。そのときどきで自分で考え、関係する方々と相談して進めなければなりません。はたして、本当に自分で勤まるのかなと心配だったのです。
とはいえ、自分の経験をもとにして、さまざまなアイデアを出しながら問題を解決していくというのは、これまでにない仕事です。決まった作業をこなすだけでは味わえないようなやりがいを感じています。
休日はどのようなことをして過ごされていますか。
後藤さん:
震災前はスキーやゴルフによく行っていたのですが、今はもっぱらゴルフが生きがいで、月に4、5回行っています。福島はゴルフ場の値段が安いのがいいですね。また、疲れたなと感じたときには、いわき市内の自宅近くにある健康センターに行きます。温泉やサウナを利用して半日のんびり。入浴後の生ビールが格別です。
荒木さん:
以前は無趣味な人間でしたが、1Fで仕事をするようになってから、みなさんに誘われてゴルフをするようになりました。まだまだ下手ですが、それなりに楽しんでいます。職場の仲間以外にも、関連企業の方ともよくご一緒します。飲み会だと、1回に顔を合わせているのは2、3時間ですが、ゴルフだと長時間一緒にいられるので、じっくりとコミュニケーションをとれるのがいいですね。
荒木 順也さん
千葉県習志野市に自宅があり、現在は単身赴任でいわき市内に住んでいる。1Fで仕事をはじめたのは2016年からですが、震災前にも短い期間ですが1Fに携わっていました。
後藤 泰記さん
宮城県栗原市出身。1Fをはじめ、各地の原子力発電所、火力発電所の水処理の仕事に古くから携わっており、水処理の生き字引のような存在。震災前は大熊町に自宅があったが、現在はいわき市内に住んでいる。
関連する企業の方々をはじめ、さまざまな人に支えられて作業を進めることができます。
これからも頑張っていきますので、よろしくお願いします。
- プロフィール
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荒木 順也さん
千葉県習志野市に自宅があり、現在は単身赴任でいわき市内に住んでいる。1Fで仕事をはじめたのは2016年から。震災前にも短い期間だが1Fに携わっていた。
後藤 泰記さん宮城県栗原市出身。1Fをはじめ、各地の原子力発電所、火力発電所の水処理の仕事に古くから携わっており、水処理の生き字引のような存在。震災前は大熊町に自宅があったが、現在はいわき市内に住んでいる。
- お勤め先
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オルガノ株式会社
1946年創立。水処理の総合メーカーとして、半導体などの洗浄、工業用水の排水処理のほか、全国ほとんどの原子力発電所、火力発電所の水処理を手がけている。