2019年1月24日
- 佐々木行忠さん
- 株式会社 千代田テクノル
原子力事業本部 本部付部長
- 叶谷朝子さん
- 福島営業所 営業一課 主務
- 黒澤優太さん
- 福島営業所 営業一課 執務
1Fで働く人の安全と健康を守る大切な装備の一つに、「ガラスバッジ」と呼ばれる個人線量計があります。これを身につけて作業をすることで、一定期間にどれだけ放射線を受けたかを測ることができます。今回ご紹介するのは、このガラスバッジを扱っている千代田テクノルです。楢葉町にある同社の福島営業所でお話をうかがいました。
震災で県内の営業所が使えなくなり
1Fで使うバッジを県外から持ち込んだ
お仕事の内容を教えてください。
佐々木さん:
1Fの作業員の方々にお使いいただいたガラスバッジやガラスリングを、毎月回収して茨城県大洗町にある当社の測定センターに送り、そこで測定した放射線量を1Fにご報告するという仕事をしています。当社では、原子力発電所だけでなく病院などで放射線を扱う方々など、全国で毎月約30万人分の放射線量を測定しています。
私自身は、東京にある原子力事業本部で仕事をしていますが、30年ほど前には福島営業所に所属していて、原子力発電所関係の営業の仕事をしていました。
叶谷さん:
私はガラスバッジの発送や回収のほか、営業の仕事もしています。ガラスバッジを1Fにお届けするときには、あらかじめ個人名を印刷したラベルを1枚1枚貼る作業が必要となります。また、測定センターから出てきた結果を1Fにお届けするのも、私たちの仕事です。
黒澤さん:
私は震災後に入社して、今年で6年目になります。主な仕事は、1F5、6号機の放射線量を分析する機器の定期点検・修理のほか、2Fの放射線量の分析装置の点検などをしています。また、叶谷さんのお手伝いで、ガラスバッジの発送や回収などの仕事もしています。
震災があったときは、どのような状態だったのですか。
叶谷さん:
ガラスバッジの報告書を1Fに配達して、富岡町にあった営業所に戻るところでした。ひどい揺れで運転ができなくなって車を降りたのですが、立っていられないほどでした。営業所に戻ると、ガラス窓の外枠のフェンスが落ちていたり天井が抜け落ちていたりし、敷地には地割れもできていました。
地震直後に起きた津波で浪江町にあった自宅が流されてしまったため、富岡高校の体育館に一時避難しました。翌朝は営業所に集合しましたが、とても仕事ができる状態ではなかったですね。さらに、営業所でも、その日の朝5時30分すぎには避難命令が出ました。
佐々木さん:
富岡町の営業所では仕事ができなくなりましたが、1Fで働く多くの作業員の方のためにガラスバッジをお届けしなくてはなりません。そこで叶谷さんには、新潟県の柏崎営業所で1F用ガラスバッジの発行作業をしてもらいました。また、福島営業所で行うはずだった仕事は、東京にある本社の原子力事業本部の机を借りて行いました。震災から3カ月経った6月に、いわき市内に仮の事務所を借りて福島営業所を再開。2015年に、現在の楢葉町に移転しました。
黒澤さん:
私は震災が起きたときはまだ大学生で、神奈川県にいました。出身が茨城県の大洗町で、地元にこの会社のガラスバッジ工場があることを以前から知っていました。震災の際に千代田テクノルが町に寄付金や食料などを提供してくれていたことを知り、少しでも恩返しがしたいと思い、卒業後にこの会社を選びました。
数多くのバッジを扱うので
間違いがないように声を出して確認する
この仕事で大変なのは、どういうところですか。
叶谷さん:
震災直後は1Fで働く作業員の方の人数は今よりもずっと多く、月に8,000個から10,000個のガラスバッジを用意していました。それだけの数を、私を含めて2、3人の社員で管理しなくてはならないのです。
安全と健康に直結することですから、間違いがあってはなりません。どのバッジがどの人のものか声を出してみんなで確認するので、時間がかかりましたし、神経も使いました。忙しい時期になると、夜遅くなったり休日出勤をしたりするのも当たり前の状態でした。
佐々木さん:
翌月に使うガラスバッジは、前の月の下旬にお届けします。そして、前の月のバッジは翌月初めに回収して、測定センターに送ります。測定の終わったバッジは、再び使えるように再生されて営業所に送られてきます。
つまり、1人につき、使用しているバッジ、測定しているバッジ、再生された翌月分のバッジという3つのバッジが必要になるので、この管理は大変です。さきほど、全国で約30万人分の測定をしていると言いましたが、そのために100万個近いバッジを扱っているわけです。
黒澤さん:
今、1Fには4,000個から5,000個のガラスバッジをお届けしていますが、やはり月末と月初の配布・回収作業は大変です。発送のときには複数の人が何度もチェックをして間違いがないようにしなくてはなりませんし、納品するときにはラベルを手で貼るので手間がかかります。
仕事でやりがいを感じるのはどういうときですか。
指にはめるタイプのガラスリング。
指先の部分の放射線量を測る
放射線量を測定するガラスバッジ。
名前と装着する部位(ここでは「胸」
などが印刷されている
黒澤さん:
ガラスバッジをご利用いただいている方に、「ありがとう」と言われたときが一番うれしいですね。特に、午後一番に連絡があって「夕方までに欲しい」という急ぎの注文をうけ、頑張って数をそろえて車で運んでいったときなどに感謝の言葉をかけていただくと、「この仕事をやっていてよかった」と感じます。
叶谷さん:
私は避難先で生活しているため、昔からの知り合いとは離れ離れになってしまいました。しかし、営業の仕事のおかげで昔の知り合いと顔を合わせる機会があります。やりがいというのとは少し違いますが、「元気でしたか?」という声かけから会話がはずむという経験ができるのは、営業という仕事だからこそだと思います。
佐々木さん:
全国の原子力発電所に行く機会があり、そこで作業員の方々が、私たちの販売した防護装備を身につけて、放射線から身を守りながら仕事をしている様子を目にすることができます。そんなとき、作業員の方々の安全を守る一端を担っているという実感がわいてきて、やりがいを感じます。
協力し合いながら仕事ができるので、
とても良い雰囲気の職場
ところで、職場はどんな雰囲気ですか。
叶谷さん:
福島営業所は全部で17人いますが、若い人が多いので活気があります。和気あいあいという感じで、困っているときには気軽に相談できるような雰囲気です。誰かに仕事が集中してしまっているときに、周りの人が声をかけて協力するといったこともよくあります。助け合いながら仕事を進めているので、とてもやりやすいですね。
休日にはどんなことをしていますか。
黒澤さん:
休日にはよくゴルフをしています。ゴルフショップ巡りやいわき市内の練習場に行くことが多いですね。今年の目標スコアは85です。
佐々木さん:
私も週末はもっぱらゴルフですが、練習場に通うよりもとにかくコースに出るのが好きです。また、ときどき軽い山歩きもしています。八幡平や尾瀬はよかったですね。ゴルフや山歩きに出かけない休日は、家族のためにパスタをつくったりしています。
叶谷さん:
震災前にはママさんバレーをしていたので、今でも何か体を動かすスポーツをしたいと思っています。最近になって楢葉町に4人制のソフトバレーボールのチームがあると聞いて見学してきました。時間の余裕ができたら、ぜひ参加してみたいと思っています。
佐々木行忠さん
東京都出身だが入社後は転勤が多く、富岡町に3年、大熊町に7年住んでいたことがある。お子さんたちにとって福島はふるさとであり、将来はまた住みたいとのこと。好きな食べ物は、米、麺類など。
叶谷朝子さん
浪江町出身。家は漁師をしていたが津波の被害を受けてしまい、震災後は小名浜に住んでいる。35年勤続のベテラン社員。嫌いな食べ物はなく、昔から魚が大好き。お酒は、焼酎のお湯割りを晩酌で少し。
黒澤優太さん
茨城県大洗町出身。現在は四倉に住んでいる。週末はゴルフのほか、営業所の人たちといわき駅の近くの焼鳥屋に飲みに行くことも多い。最近になって付き合いでお酒をよく飲むようになり、それが楽しみになった。
1Fの廃炉に向けて、私たちも放射線安全の面で協力いたします。くれぐれも健康に気をつけて、作業をしてください。
- プロフィール
- 佐々木行忠さん
東京都出身だが入社後は転勤が多く、富岡町に3年、大熊町に7年住んでいたことがある。お子さんたちにとって福島はふるさとであり、将来はまた住みたいとのこと。好きな食べ物は、米、麺類など。
- 叶谷朝子さん
浪江町出身。家は漁師をしていたが津波の被害を受けてしまい、震災後は小名浜に住んでいる。35年勤続のベテラン社員。嫌いな食べ物はなく、昔から魚が大好き。お酒は、焼酎のお湯割りを晩酌で少し。
- 黒澤優太さん
茨城県大洗町出身。現在は四倉に住んでいる。週末はゴルフのほか、営業所の人たちといわき駅の近くの焼鳥屋に飲みに行くことも多い。最近になって付き合いでお酒をよく飲むようになり、それが楽しみになった。
- お勤め先
-
株式会社千代田テクノル
1956年に、個人被ばく線量を測定する会社として設立。現在は、原子力、医療をはじめ、さまざまな分野で放射線の利用や防護などの業務を行っている。個人放射線被ばく線量測定サービスにおいては、日本国内でトップシェアを誇る。