2019年7月10日
- 諏訪薗司さん
- 東芝エネルギーシステムズ株式会社
磯子エンジニアリングセンター 原子力機械システム設計部
機械システム設計第二担当
燃料貯蔵輸送容器・システム設計主査
2019年4月、3号機の使用済燃料プールから燃料の取り出しが始まりました。今回紹介する東芝エネルギーシステムズは、燃料を取り出すための設備を製作・設置した会社です。遠隔操作など、これまでに例のない特別な機能を持つこの設備について、設計から実際に動かすまでの苦労を聞きました。
2015年にこの仕事を引き継いだが
震災前から1Fと関わりがあった
まず、この設備の仕組みを簡単に教えてください。
燃料取扱設備は、大きく分けて2台の機械からなっています。1台は燃料取扱機で、使用済燃料プール内で燃料を吊り上げて、「キャスク」と呼ばれる、発電所の構内で燃料を輸送する容器に収めるためのものです。使用済燃料プール内にあるガレキを取り除く作業も行います。もう1台は、燃料を収めたキャスクを吊り上げて使用済燃料プールから地上に吊り下ろすクレーンです。現場は、放射線量が高いため、操作室から遠隔操作するようになっています。
機械は、神奈川県にある当社の京浜事業所で2014年から組み立てを行い、実際に操作をするオペレーターさんに訓練をしていただいたのち、船で1Fまで運びました。
諏訪薗さんは、いつからこの仕事を担当しているのですか。
私がこの仕事を引き継いだのは2015年のことです。ですから、そのときには設備はすでに出来上がっていました。ただし、1Fとの関わりは長く、震災前から機械システム設計の仕事で、1Fにもときどき来ていました。震災後は、汚染水をためるタンクの設計などもしていました。
3号機燃料取り出し用カバーなど設置工事
3号機の燃料取り出しで得た教訓は
今後の作業に必ず役立つはず
据え付けから燃料取り出しの開始まで、時間がかかりました。
この設備は、京浜事業所内でさまざまな試験をして、問題点はほとんどなくしたつもりだったのですが、1Fの現場に据え付けてみると、同じように操作をしても、うまくいかないということがありました。
本来ならば、試作機をつくってさまざまなテストをしてから量産機をつくるのですが、今回はそうはいきません。試作機を実用に使うという点に難しさがありました。
それでも、一度起きた不具合については、同じようなことが再び起きないように進めてきました。時間はかかりましたが、安全第一で対応してきたつもりです。また、3号機での燃料取扱設備で学んだ教訓は、今後必ず役立つと思っています。
設計担当の方々も1Fに通っていたのですか。
設計者がいないと作業が進みませんので、もちろん1Fに通っていました。何か思わぬ事態が発生したときは、すぐに現場で対応ができるようにしなければなりません。朝礼には必ず出て指示を出し、作業員の方々と一緒に、防護服と全面マスクの重装備で毎日現場に入りました。
設備を3号機のドーム内に据え付け始めたのは2017年11月からで、機械を設置して問題なく動くことを見届けるまでは、私たち設計チームがつねに2人以上、最大で8人は1Fにいなくてはなりません。不具合への対応・対策の検討なども行っていたので、設計者チームが1Fを離れたのは2019年の春になってから。結局、1年以上、1Fにほぼ毎日通っていました。
現場、打ち合わせと
忙しい日々が続いた
1Fでは、どのような点に苦労しましたか。
作業が始まるのが朝の5時30分からで、通常の作業は14時に終わります。その後、私たちは関係者の方々と打ち合わせがあり、それから翌日の作業の予定を立てたり、書類を作ったりしていました。ですので、当時は、早朝から夜まで仕事をすることもありました。
それから富岡町のホテルに戻って寝るのですが、翌日また4時ごろに起きなくてはなりません。仕事に追われることもありましたが、自分のことばかりでなく、設計者チームの心のケアにも気を使いました。
また、防護服に全面マスクという装備は、震災以前も定期点検時に着用していたので慣れてはいましたが、それが毎日続くのは参りました。当初はドーム内に空調が効いておらず、暑いだけでなく湿度も高かったのです。
作業員の方々とコミュニケーションはいかがでしたか。
やはり、近くにいて一緒に仕事をするという気持ちを共有することで、仕事がうまく進むと思います。作業員の方々とは、仕事のことはもちろん、どんな話題でもいいので毎日会話することを心がけました。また、体調を崩されるといけないので、みなさんの顔色を見て健康面にも気を配りました。
さまざまな立場の人と仕事ができて
いい経験になった
4月から燃料の取り出しが始まりましたが、感想をお聞かせください。
遠隔操作室の様子
燃料取り出しの様子
それまで、訓練でダミーの燃料を吊り上げる様子は見てきたのですが、今度は本物の燃料を吊り上げることができたんだなと思い、ほっとするとともに感激しました。その瞬間は、私は操作室で立ち会っていましたが、周囲には関係者がたくさんいたので、一人で大声を出すわけにもいかず、心の中で喜びの声を上げました。
とはいえ、3号機の燃料取り出しはスタートしたばかり。予定では2020年度末まで続くことを考えると、身が引きしまる思いです。
この仕事をしてよかったと思うのは、どういうときですか。
もちろん、廃炉に向けて貢献できていることにやりがいを感じています。また、原子力発電所関係の設計といっても、これほど大きな設備を据え付けるという仕事は、めったにありません。それに携わっていると思うと、技術者としてうれしく感じます。さらに、今回は全体をまとめる役割だったので、さまざまな立場の人たちと一緒に仕事をしていくことができて、いい経験になりました。
顔なじみになったホテルの人が
応援してくれたのがうれしかった
長く福島に滞在したことで、地元の人との交流はありましたか。
ほとんどが富岡町のホテルと1Fとの往復だったので、あまり地元の人と出会う機会はありませんでした。それでも、富岡町のホテルの人とは顔なじみになり、とてもよくしていただきました。朝が早いときはお弁当をつくってくださっていたり、夜の帰りが遅くなるときも帰ってくる時間まで食事をつくって待っていてくれたのです。応援されているなと感じて本当にうれしく思いました。
ところで、休日はどんなことをしていますか。
これまでは、ずっと気を張っていたので、休みの日はゆっくりしたいという気持ちばかりでした。1Fに通っていたときは、平日は富岡町のホテルで体を休め、休日には、近所を散歩したり、たまにいわきに出かけるくらいでした。
現在は少し余裕ができたので、家で映画をよく見ています。昔から、SF映画やメカニックな機械が出てくる映画が好きで、どんな構造なんだろう、自分にもつくれるかな、などと考えながら楽しんでいます。最近では『パシフィック・リム』という映画が気に入っています。
諏訪薗 司さん
鹿児島県出身で、自宅は横浜市。映画以外に釣りも趣味。以前は伊豆に夜釣りに行くこともよくあった。食べものは肉系、とくにハンバーグが好き。
事故直後の3号機の姿を思い出すと、みなさんの努力で、よくここまで来たなと思います。まだまだ厳しい環境下での作業も続きますが、日々の作業が廃炉への一歩となりますので、お互いに頑張りましょう。
- プロフィール
- 諏訪薗 司さん
鹿児島県出身で、自宅は横浜市。映画以外に釣りも趣味。以前は伊豆に夜釣りに行くこともよくあった。食べものは肉系、とくにハンバーグが好き。
- お勤め先
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東芝エネルギーシステムズ株式会社
原子力、火力などのほか、再生可能エネルギー、電力流通、水素エネルギーなどのシステムを手がける会社として、2017年に株式会社東芝から分社して発足した。