2021年9月7日
- 上原 昌也さん
- 鹿島建設株式会社
東京土木支店 東電福島土木工事事務所 所長
一般社団法人日本建設業連合会の2020年「日建連表彰 土木賞」を、1Fの陸側遮水壁(凍土壁)が受賞しました。2015年初頭、設備工事のピーク時には、1日900人以上が作業に関わった大規模プロジェクト。2016年には稼働をはじめ、維持管理のフェーズに移行しました。凍土壁の現場に6年関わってきた鹿島建設の上原昌也さんに、メンテナンスという仕事の内容、エピソードなどについて聞きました。
今回の受賞はとてもうれしい
これまでの凍土壁との関わり、受賞の感想などを教えてください。
私が最初に1Fの現場に入ったのは2014年です。当時、凍土壁が実現可能かどうかを評価するため、実証実験などが行われていました。プロジェクトの最初期から、凍土壁に関わってきましたが、2018年から20年までは1Fを離れました。2020年に2年ぶりで福島に戻ってきて、その年の7月から土木工事事務所の所長を務めています。
長く凍土壁で仕事をしてきたので、今回の受賞はとてもうれしいですね。工事中や完成直後にはよく話題になりましたが、その後はニュースなどで見かける機会は少なくなりました。自分が参加した現場が注目されるのはありがたいことです。2年間1Fを離れているとき、工事を進めていた企業の方から「凍土壁について話してほしい」といわれ、30人ほどを前にして講演をしたことがあります。これからも、関心のある方に対しては、積極的に凍土壁のことを話していきたいと思います。
また、凍土壁は1Fという特殊な場所で長期間使い続けるという前例のない施設であり、今後、同様の工事が行われるかどうか分かりません。とはいえ、様々な制約がある中で、これほどの大規模なプロジェクトを進めたノウハウを応用できる場面もあるのではないかと思っています。
現在の仕事の内容についてうかがいます。
凍土壁の点検や修理、設備の改善などとともに、1Fの土木工事を担当しています。1~4号機それぞれの建屋部分に関しては、建築のチームが担当しているのですが、建屋周辺の土木工事は私たちのチームが担います。例えば、雨水が地下に浸透しないよう、コンクリートやアスファルトで覆うフェ-シングなどの工事があります。建築と土木で重なる部分もあるので、チーム間の協力は欠かせません。
厳しい環境での仕事だったが、その分やりがいを感じた
凍土壁のメンテナンスについて、難しいところや工夫している点などはありましたか。
凍土壁の役割は建屋のあるエリアへの地下水の流入を防ぎ、汚染水の発生を抑制することです。凍土壁は1Fの1~4号機を囲む形で設置されており、壁の延長は約1500メートル。壁の深さは約30メートルです。交換可能な1568本の凍結管などで構成される凍土壁は、冷凍機などが並ぶ凍結プラントとつながっており、氷が膨張しすぎないよう、常に一定の温度幅を維持しています。
凍土壁は2016年から稼働しており、設備の劣化も見られ始めています。1つの設備が故障してすぐに冷却機能が失われるというわけではありませんが、点検や交換などには細心の注意が必要です。こうしたメンテナンスを続けながら、さらに運用のノウハウを高めていきたいと考えています。
特に難しさを感じるのは、季節などにより大きく変動する地表面の温度です。温度変化が周囲の設備に影響を与える場合もあるので、地表面温度をコントロールするための施策を新たに考える必要があるかもしれません。
凍土壁の構築を進めていた当時の印象的なエピソードなどはありますか。
2014年から15年にかけて、凍結管を打ち込む作業をしていました。ピーク時には900人以上が関わっており、それを5チームに分けて工事を進めました。線量を考慮しなければならないので、1日の作業時間にも制限がありました。人数を確保する必要があったので、鹿島建設社内でも全国から応援を呼び集めました。
厳しい環境での大変な仕事でしたが、その分やりがいを感じましたし、人との強いつながりができたように思います。先日も、当時の仲間が果物を送ってくれました。苦労はありましたが、この仕事に関われてよかったと思います。
廃炉はとても時間がかかる
引退した後、子どもや孫からいい報告が聞ければ
福島の復興にかける思いをお聞かせください。
実は、福島に赴任したのは2012年です。富岡町で1年半ほど除染に関わり、その後、凍土壁の現場に入りました。大震災から1年ほど経っていましたが、津波の被害の様子を見て自分に何ができるだろうと考えました。今は、廃炉というプロジェクトに、少しでも貢献したいという気持ちで仕事に向き合っています。ただ、廃炉にはとても長い時間がかかります。私が引退した後、子どもや孫からいい報告が聞けたらうれしいですね。
今、私たちが取り組んでいるのは、凍土壁という世界に1つしかない施設です。私は全国の様々な現場に携わってきましたが、凍土壁には6年以上、福島には8年ほど関わっています。建築や土木のすべての現場にそれぞれの魅力がありますが、私にとって福島は間違いなく特別な場所になりました。
リーダーとして現場を引っ張っていく上で心がけていることはありますか。
2014年から15年に凍土壁をつくっていたころと比べると、チームの人数は10分の1、あるいはそれ以下に減っています。とはいえ、部下を持つことの難しさを実感する毎日です。私が心がけているのは、自分から積極的にコミュニケーションを図ること。作業員との個別面談などにも、できるだけ時間をとりたいと考えています。
少しプライベートなことをお聞きします。出身地やこれまでのキャリア、趣味などを教えてもらえますか。
沖縄生まれで、幼少のころに東京に移りました。結婚後は千葉に住んでいますが、単身赴任が多いですね。変わったところでは、硫黄島の自衛隊基地での工事に1年半ほど携わったこともあります。北から南まで、様々な現場を経験してきました。
凍土壁の工事がひと段落してからは、祭りにハマりました。相馬野馬追や青森のねぶた祭りなど、あちこちの東北の祭りを追いかけて回りました。昨年1Fに戻ってきて、また祭りを見ようと思っていたのですが、コロナ禍とぶつかってしまいました。残念ですが、まだ東北の素晴らしい祭りを見られることを楽しみにしています。
上原 昌也さん
2014年に福島第一原子力発電所に赴任。凍土壁の実証実験段階からプロジェクトに参画し、工事に携わる。2018年から2年間は福島を離れたが、2020年に1Fに復帰し、同年7月より現職。メヒカリのから揚げとビールの組み合わせが大好き。
廃炉にはとても長い時間がかかりますが、これからもこのプロジェクトに少しでも貢献したいという気持ちで仕事に向き合っていきます。皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。
- プロフィール
- 上原 昌也さん
2014年に福島第一原子力発電所に赴任。凍土壁の実証実験段階からプロジェクトに参画し、工事に携わる。2018年から2年間は福島を離れたが、2020年に1Fに復帰し、同年7月より現職。メヒカリのから揚げとビールの組み合わせが大好き。
- お勤め先
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鹿島建設株式会社
土木・建設を中心に幅広い分野で工事全般を担う。地域・都市開発や海洋開発、環境整備などのプロジェクトについて調査・研究から運営管理までトータルにサポートしている。