2019年7月8日
- 岡田 伸哉さん
- 3号機原子炉建屋カバーリング工事共同企業体 所長
(現:鹿島建設株式会社 東電福島建築統括事務所 所長)
- 飯田 雄介さん
- 山田工業株式会社
代表取締役専務 福島営業所長
- 鮫島 弘一さん
- 株式会社富永工業
福島第一原子力発電所 担当 部長
- 喜瀬 卓也さん
- 株式会社富永工業
福島第一原子力発電所 職長
2019年4月15日から3号機使用済燃料プールからの燃料取り出し作業が開始しました。燃料を安全に取り出す準備として、ガレキを取り除き、除染・遮へいを行い、カバーをかける工事が、2011年6月から2018年10月まで続きました。この工事を担当したのが、今回紹介する3号機原子炉建屋カバーリング工事チームです。カバーリング工事共同企業体(JV)を中心に常時約20社が力を合わせて難しい工事に取り組み、2019年4月には総理大臣感謝状を受けています。ここでは、3社4人の方に広野の事務所でお話をうかがいました。
建屋最上階の除染・遮へいをしたことで
カバーを取り付けることができた
まず、みなさんのお仕事を教えてください。
岡田さん:
私は、JVの所長としてこの工事を担当しました。7年4カ月の間に工事にかかわった人は、延べ人数で社員が11万5000人、作業員が16万3000人にのぼる、まさに大工事でした。
飯田さん:
私たちの会社は、コンクリート工事や資材の運搬、機械の点検など、工事全般に渡るさまざまな役割を担ってきました。私は、福島営業所の所長として、現場の管理を行いました。
鮫島さん:
私たちは鳶工事の会社で、現場で鉄骨や足場を組み立てるなど、高い場所で作業をします。私は会社の現場代理人、いわば番頭のような立場で、社員や作業員に仕事の指示をする役割でした。
喜瀬さん:
私は職長として、現場で直接作業員の指揮を執りながら作業にあたっていました。
仕事はどのような手順で進められたのでしょうか。
岡田さん:
まず、建屋周囲の工事の妨げになる部分を解体し、作業用の構台を架設しました。遠隔操作の重機を用い、オペレーティングフロア(オペフロ)上のガレキを取り除きます。次に、人が立ち入って工事ができるようオペフロの除染・遮へい工事を行いました。それで放射線量が下がったのを見きわめて、燃料取り出しカバー鉄骨を組み立てました。
かまぼこ型のドームは軽量なだけでなく
内部の空間を広くとれるのが利点
カバーはずいぶん大きなものですが、なぜかまぼこ型にしたのですか。
岡田さん:
カバーの大きさは、かまぼこ部の高さ約18m、長さが約57×23mという巨大なものです。8つの部分に分けて小名浜の作業場でつくり、船で運んできて1Fで組み立てました。かまぼこ型にした大きな理由は、四角くした場合に比べて軽くでき、内部で作業する空間を広く取れるためです。また、3つのピンで接合することで支持することができ、1F構内での組み立て作業がしやすいという利点もありました。ちなみに我々はロールケーキと呼んでいました。
- 3号機の燃料取り出し用カバー設置工事
(ドーム屋根1組目) - 3号機の燃料取り出し用カバー設置工事
(ドーム屋根2組目) - 3号機の燃料取り出し用カバー設置工事
(全てのドーム屋根ユニットの吊り上げを完了)
それにしても、長い時間がかかる難しい工事でした。
岡田さん:
一番大変だったのがオペフロの除染でした。ドームを組み立てて調整するには、どうしても人が立ち入らなくてはなりません。そのために、建屋の最上階にあるオペフロの放射線量を下げる必要がありました。しかし、放射線という見えないものを相手にするので、なかなか思うようにいきません。最初は半年程度と考えていた工程が2年半かかってしまいました。
3号機のオペレーティングフロア周辺状況
(撮影日:2012年7月11日)
飯田さん:
建屋まわりのガレキを取り除くことからはじまって、遮へいのために鉄板を敷いたり、最後は資機材の片付けまで、ずっとこの仕事に携わってきましたから、4月に実際に燃料の取り出しが始まったと聞いて、ようやくここまでたどりついたなと感無量です。
1Fでは安全管理が何よりも大切
とくに被ばく線量管理には気を使った
工事を通じて、特にどのような点が難しかったのでしょうか。
飯田さん:
仕事自体は、ほかの現場でやっていたことと同じですが、周囲の環境や装備がまったく違うので、最初は手さぐりでした。そんな中でも重要だったのは被ばく線量の管理です。当初は放射線量が高く、作業員の方々が仕事に慣れてきたころに、規定の被ばく線量に達してしまって交代しなければならないことがよくありました。すると、また新しい人が入ってくるので、引き継ぎが大変でした。
鮫島さん:
やはり、1Fでは装備も違いますし現場のルールも違います。朝礼で私が話をして理解してもらえたように見えても、防護服に全面マスクで現場に出ると、もう自分のことで精いっぱいになって、指示の内容を忘れてしまうということもありました。一般の現場のつもりで作業をすると事故が起きてしまいますので、違いをしっかり伝えることに気を使いました。
喜瀬さん:
人間が入れないような高線量エリアは、遠隔操作で機械を扱いますが、操作する人はずいぶん苦労していました。一般の現場ならば、直接目で見て確認しながら進められますが、遠隔操作ではカメラの画面を見ながら机の上で操作をするので難しさがあります。また、カメラを通して操作をするので、タイムラグがあって少し遅れて動くことになるのもやりにくかったようです。
被ばく対策には、どのような工夫をされましたか。
岡田さん:
作業員の方々が少しでも1Fで長く仕事ができるように、受ける線量を減らすためにいろいろと工夫しました。待ち時間を過ごすための遮へい機能がある退避小屋をつくったり、コンクリートや鉄板のついたてを立てたり、敷き鉄板の隙間には鉛マットを置いたりと、きめ細かい対応を考えました。
飯田さん:
受ける放射線量がみなさん均等になるように、それぞれが持っている資格の一覧表をつくって、仕事の割り振りを毎日考えていました。とはいえ、作業員の方によって仕事の得意と不得意があるので、その調整は難しかったですね。
真夏に25kgの遮へいスーツを着て
5階まで登るのは大変だった
夏の暑いときに防護服を着て作業するのは大変だったのではないですか。
喜瀬さん:
防護服だと熱が内側にこもってしまうので大変です。私は現場に出ての仕事が中心ですので、体調管理には気を使いました。しかも、放射線量の高い場所では、防護服の上に25kgある鉛入りの遮へいスーツを着て作業することもありました。3号機の建屋では、当初、エレベーターが無かったので、そうした装備で5階相当のオペフロまで30mほどを歩いて登っていかなくてはなりませんでしたから、それだけでかなり体力が消耗したものです。
鮫島さん:
現場から帰ってくると、長靴の中が汗で水浸しになって逆さまにすると水がこぼれてくるのです。そんな過酷な現場でしたから、熱中症にならないように注意しました。具合が悪くなりそうになったら、すぐに申し出て休んでくれというのですが、みなさん責任感があるので、なかなか申し出てくれません。最初のうちは、そうして無理をして熱中症になってしまったという例もありました。
岡田さん:
一般の工事ならば、作業途中で戻ってくるわけにはいかないので、社員も作業員もそれが身についてしまっていたのです。1Fとほかの現場の違いを分かってもらうのが大変でした。後には、WBGT(暑さ指数)と作業強度の組み合わせから数値基準をつくって時間管理をきちんとするようにしたので、熱中症を予防できました。
難しい現場で働くことに対して、ご家族は何かおっしゃっていましたか。
飯田さん:
1Fに行くことになったと妻に話したときのことですが、てっきり妻に止められるかなと思っていたら、逆に「誇りに思う」と言われて、意外な反応に驚きました。
喜瀬さん:
親には心配されましたが、いったいどんな現場なのか、実際に関わってみたいという気持ちが強く、来ることにしました。
燃料取り出し開始の前日に感謝状授与
総理との懇談会は本当に緊張した
2019年4月14日に、この作業チームに総理大臣の感謝状が送られました。
岡田さん:
4月14日、安倍総理から作業チームに対して感謝状授与式があり、続いてメンバーとの懇談会がありました。翌日には、3号機の燃料取り出しがはじまるというタイミングで、非常に印象的でしたね。
喜瀬さん:
安倍総理との懇談には、私を含めて4人が参加したのですが、このときは本当に緊張しました。総理には、1Fに来てからの作業内容や苦労したことなどを話しました。そのときの写真が首相官邸のホームページに載っているとメンバーに知らされて、びっくりしました。
飯田さん:
感謝状をいただいたときももちろんですが、自分たちの仕事がテレビや新聞のニュースに出るのを見ると、苦労したかいがあったなと思います。私たち作業員のやる気を保つためにも、ニュースなどで、もっと廃炉作業の進捗感を紹介してもらいたいと思います。
長い間福島にいることで、地元とはどのような交流がありますか。
岡田さん:
私たちは、毎朝の朝礼の最後に、みんなで声を合わせて「浜通りを、元通り!」と言い続けています。少しずつでも昔の姿に戻すお手伝いができればと思う気持ちは、誰もが共通しています。
いわきに事務所があったときは、地元高校のフラダンス部と交流がありました。手弁当で各地をまわっている部員のみなさんに私たちが(わずかですが)支援をしたり、部員の方々が懇親会でフラダンスを披露してくれたり、という交流をしていました。
ところで、休日はどのようなことをしていますか。
鮫島さん:
最近は小名浜に新しくできたショッピングモールによく出かけて映画を見ています。洋画が中心で、好きなのはアクションものです。
喜瀬さん:
休日は、こちらに来てから教わった麻雀を会社の仲間とやっています。夏は宿舎のある久之浜近くの海岸でバーベキューをするのが楽しみですね。
岡田 伸哉さん
埼玉県出身。1Fに来る前は柏崎刈羽原子力発電所で仕事をしていた。食べものの好き嫌いはなく、今では朝晩は寮の食堂、昼は事務所の食堂と3食定時にきちんと食べ、入社以来最も規則正しい生活を送っている。
飯田 雄介さん
新潟県出身で、2週間に1回ほどに自宅に帰っている。ゴルフやアウトドアが趣味で、仲間とときどきゴルフを楽しんでいる。
鮫島 弘一さん
鹿児島県出身。子供たちはもう大きいが、年に2回は鹿児島に帰るようにしている。1Fにきてから久しぶりにゴルフをするようになった。ほかに、麻雀、映画鑑賞などが趣味。
喜瀬 卓也さん
沖縄県出身。福島の食べものはおいしくて好き。麻雀は、メンバーが足りないとのことで会社の仲間に教えられた。沖縄に帰ると、よく釣りをしている。
私たちは「子供たちの未来のために」というスローガンを掲げて仕事を続けています。まだまだ長い道のりですが、お互いに誇りを持って仕事をしましょう。
- プロフィール
- 岡田 伸哉さん
埼玉県出身。1Fに来る前は柏崎刈羽原子力発電所で仕事をしていた。食べものの好き嫌いはなく、今では朝晩は寮の食堂、昼は事務所の食堂と3食定時にきちんと食べ、入社以来最も規則正しい生活を送っている。
- 飯田 雄介さん
新潟県出身で、2週間に1回ほどに自宅に帰っている。ゴルフやアウトドアが趣味で、仲間とときどきゴルフを楽しんでいる。
- 鮫島 弘一さん
鹿児島県出身。子供たちはもう大きいが、年に2回は鹿児島に帰るようにしている。1Fにきてから久しぶりにゴルフをするようになった。ほかに、麻雀、映画鑑賞などが趣味。
- 喜瀬 卓也さん
沖縄県出身。福島の食べものはおいしくて好き。麻雀は、メンバーが足りないとのことで会社の仲間に教えられた。沖縄に帰ると、よく釣りをしている。
- 工事のチーム
-
3号機原子炉建屋カバーリング工事共同企業体(JV)
3号機の使用済燃料プールから燃料を取り出すために、原子炉建屋にカバーを取り付けることを目的としてつくられた、同工事の元請。
- お勤め先
-
山田工業株式会社
株式会社富永工業共同企業体(JV)から発注された各々専門分野の工事を請け負う一次協力会社。