1 FOR ALL JAPAN 廃炉のいま、あした

2016年3月10日

応援メッセージ02 廃炉に向けた作業は「希望」という名の壮大なプロジェクトです

糸井重里さん糸井いとい 重里しげさとさん
コピーライター、エッセイスト、「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰しゅさい

話題のキャッチコピーを次々つぎつぎと生み出すコピーライターの糸井重里いといしげさとさん。マルチな才能を発揮はっきし、エッセイストやタレントとしても活躍かつやく震災後しんさいご被災地ひさいち人々ひとびとに寄りい、地域ちいきの人々と手をたずさえ復興支援活動に尽力じんりょくしています。「福島」を応援おうえんする気持ちも非常に強く、2015年11月に福島第一原子力発電所をおとずれ、廃炉作業の現場に足を運んだのはその表れです。作業員の方々かたがたに対する敬意けいいの気持ちがより強くなり、「廃炉に向けた作業は次世代の『希望』につながる仕事」と糸井いといさんは話します。世界が注目する仕事の中に大きな可能性を感じ取っているそうです。

糸井さんからの応援おうえんメッセージ

事故の収束しゅうそくに向けた必死の活動を目にして「感動」を覚えました

糸井さん:

 震災後しんさいごに起こった福島第一原子力発電所の事故はテレビのニュースで知りました。当時はテレビで「換気扇かんきせんを回さないように」というびかけが行われていたのを覚えています。これから先どうなってしまうのだろうと不安な気持ちをいだいていました。

 けれども、ぼくは東京をはなれるという選択はしませんでした。「今、できることをしよう」というのが震災しんさいの直後から言い続けてきた基本のスタンスです。それは自分についてもいえますし、他の場所で「できることをしている人」のことも尊敬そんけいしています。その象徴しょうちょうとしてよく覚えているのは、水蒸気爆発すいじょうきばくはつを起こして建屋がき飛んだ原子炉げんしろに向かって、冷却れいきゃくのためにみんなが必死に放水している光景です。

 それを見て「あんなことをして何になる」という人もいたでしょう。でもそういう状況じょうきょうでも、必死に活動している人たちがいる。まるで目の前の火事を自分の服で消そうとするような行為こういに、ぼくは、ただただ感動したのです。

 今も福島第一原子力発電所では廃炉に向けて必死に作業している人がいます。勇気と知恵ちえをふりしぼって活動する人に敬意けいいいだいています。

 原子力発電所はデリケートな問題です。いろいろな考えの人がいて当然だと思います。でも、イメージとか不確かな情報でものごとをろんじるのはよくありません。そんな思いから東京大学大学院教授で原子物理学者の早野龍五はやのりゅうごさんと一緒いっしょに『知ろうとすること。』(新潮文庫しんちょうぶんこ)という本を出しました。この本は「少なくともここまでは確かに言えるという、最低限の科学的な知識」をわかりやすく解説したものです。まずはそこを議論ぎろんの出発点にして、それぞれの意見を述べ合えるようになるといいですね。

廃炉作業の経験が世界で求められる先端技術せんたんぎじゅつを支えていく

糸井さん:

 2015年11月には実際に福島第一原子力発電所をたずね、廃炉作業の現場を見せてもらいました。行く前は相当な厳戒態勢げんかいたいせいの中で仕事をしていると思ったのですが、実際に行ってみるとそうでもない。もちろん、見えないストレスはあるでしょうが、粛々しゅくしゅくと廃炉に向けた作業を進めている。そんなふうに思えました。

 廃炉に向けた作業は長い道のりですが、必ず乗りえなければなりません。乗りえた先にあるもの、それは「希望」だとぼくは信じています。

 事故がなくても、原子力発電所は寿命じゅみょうが来れば廃炉にしなければなりません。原子力発電所がある以上、廃炉という作業は必ず必要になるのです。福島での廃炉作業の経験は、今後世界で求められる最先端さいせんたんの技術になるかもしれない。廃炉によって事故にケリをつけると同時に、日々ひびの経験が新しい事業の始まりにつながっていく可能性もあります。

 作業の現場はきびしい環境かんきょうにあるので、せめて敷地内しきちないのどこかに自然を感じられるようないこいの場があるといいですね。広大な敷地しきちの一角に鳥のサンクチュアリなどがあってもいい。ぼくが取り組む活動の一環いっかんとして、除染済じょせんずみの地元の木材を使ったツリーハウスを作ってもいいですよ。見ているだけでも、木のぬくもりを感じられると思います。

 廃炉に向けた作業は希望につながる仕事です。作業員の方は家族にもむねを張ってそう言ってほしい。福島や全国の人はもちろん、世界中の人がこの作業の進行に注目しているのですから。

糸井さんの被災地支援活動ひさいちしえんかつどう

地域ちいき人々ひとびととともに「長い目で見てのお手伝い」をしていく

糸井さん:

 2011年3月11日のはげしいれは今でも鮮明せんめいに覚えています。あの地震じしんが東京で起こっていたら、自分たちが大変な被害ひがいにあっていたかもしれない――。そう考えると、被災地域ひさいちいきの大変な状況じょうきょうが人ごとには思えなかったのです。何とか力になりたいと考え、自分なりの支援活動しえんかつどうを始めました。

 お金やモノを送るのも大切ですが、ぼくや事務所のスタッフだけでできることには限りがあります。自分たちのできる範囲内はんいないで「長い目で見てのお手伝い」をしていこうと決めました。

 2011年11月には宮城県気仙沼市みやぎけんけせんぬまし支援活動しえんかつどう拠点きょてんとなる事務所を設立しました。それ以外にも、地元の女性を編み手とした手編みのセーターやカーディガンを製造・販売はんばいする「気仙沼けせんぬまニッティング」という会社もできました。漁業がさかんな町なので、漁師の着るセーターを編んでいたこともあり、編み物が得意な人が多いのです。その技術を生かした製品を、ゆくゆくは世界ブランドにまで育てていく夢を持っています。

 たくさんの人の力を借りて「東北ツリーハウス観光協会」を設立し「東北に100のツリーハウスを作る」活動も行っています。このツリーハウスを目当てにして、大勢の人に東北におとずれてもらいたいです。これまで東北に7つのツリーハウスが完成しました。東北一体に100のツリーハウスを作るまで、この活動はまだまだ続きます。

見えないかもしれないけど、たくさんの人たちが、応援しています。ありがとうございます。

プロフィール
コピーライター、エッセイスト
「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰
糸井 重里いとい しげさとさん

東京とうきょう糸井いとい重里しげさと事務所じむしょ代表取締役とりしまりやく宮城県みやぎけん気仙沼市けせんぬましにも事務所を設け、継続的けいぞくてき支援活動しえんかつどうを行っている。その一環いっかんとして、現地で手編みのニット衣料品を製造販売せいぞうはんばいする会社や、東北の新たな名所として、100のツリーハウスを作るプロジェクトも進めている。自身が主宰しゅさいするインターネットサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で、現地の支援活動しえんかつどうや福島への応援おうえんメッセージなどを発信中。

関連コンテンツ

このページの先頭へ↑